第1話
「教師と生徒」
ある日の放課後…。
「今度こそお前を打ち負かしてやる!」
「やれるものならやってみるんだな。この前の大会で勝ったからって、俺に勝てるとは限らないだろ?」
怒鳴り声の後に冷静さを感じさせる声が、誰もいない武道館に響き渡った。
一方は教師、もう一方は生徒。ちなみに怒鳴り声を出しているのが教師である。
「完全無敗で通ってきたからって調子に乗るな!いつかは必ず負けるんだ!」
「それはわかってるさ。だけど、負けたとしても、その時の相手はあんたじゃないってことだけは断言できる」
「ナメるな!」
教師はついにキレて持っている木刀を生徒に向かって振り回した。
かなりの早さだが、生徒には一撃も当たらない。回避されたり、あるいはもう少しで当たるというところで指2本で真剣白羽取りをされたりしている。
「はぁ、はぁ…く、くそぉ…」
「意気込んで挑んでくるからどれだけ強くなったかと思ったら、その程度か」
振り回しまくってすっかり息が上がっている教師に生徒は冷たく言う。
そして、教師の胸に強烈なストレートを当て、壁に吹っ飛ばして気絶させた。
壁は板張りのため、あちこちに穴が開いており、今回も大穴が一つ開いた。
教師が生徒の攻撃で壁に吹っ飛び、激突して穴を開けるのは今回が初めてではないが、教師は軽くて気絶。重くても骨折で済んでいる。
並の人間なら死んでいてもおかしくない。それぐらい生徒の一撃は強烈だった。
生徒が武道館を出ると、一人の女性教師と出会った。
「あら、海原君。さっき武道館から怒鳴り声が聞こえたけど、何があったの?」
「矢神先生…あのくそ丹河とのいつものことですよ。まったく、懲りるということを知らないんだから…」
木刀で襲い掛かった教師、丹河 丈(にかわ じょう)を一発で打ち負かした生徒、海原 孝太郎(うなばら こうたろう)は優しい雰囲気を見せる女性教師、矢神 京子(やがみ きょうこ)に面倒臭そうに言う。
外は雨で、止みそうな気配はない。
「ねぇ、職員室でコーヒーでも一緒にどう?」
その場を去ろうとした孝太郎を京子は引き止めて言った。
「教師が生徒とお茶ですか?それで変な誤解が出なかったらいいですけど」
「大丈夫よ。生徒とお茶をするのは、海原君だけじゃないから」
「そうですか…」
京子の後に孝太郎はついて行き、誰もいない職員室で二人は京子が淹れたコーヒーを飲んでいた。
「にしても、海原君には敵がいっぱいね」
「相手からわけもなく絡んでくるんです。迷惑もいいところです」
孝太郎は愚痴ってコーヒーをすする。京子はその仕草を微笑んで見ていた。
「でも、俺を職員室に連れてきてコーヒーなんて珍しいですね。何か俺に用でもあるのですか?」
「特にないわよ。ただ、海原君とは教師と生徒という関係じゃなく、人として普通に話してみたくなっただけ」
「ふ〜ん。みんな俺のことを怖がって近づかないのに、先生は変わってますね?」
「だって、海原君は本当は優しい子だってことを私は知ってるから」
孝太郎は全く反応しなかった。それでも京子は微笑んでいる。
会話がなくなり、静かになったところに京子が出入り口にそっと近づき、思いっきり開けた。
「キャッ!」
ドアの向こうには一人の女子生徒がいた。いきなり扉を開けられて驚いているようだ。
「もう、こんなところでこそこそしないで堂々と入ってきなさい」
「だ、だって、楽しそうに会話してたから邪魔したら悪いと思って…」
女子生徒は少し慌て気味だった。孝太郎は「どこが楽しそうなんだ?」と思わずにいられなかった。
「話し相手は多いほうがいいわよ。せっかくコーヒー淹れたから飲みましょ」
京子はそう言って女子生徒の手を引っ張って孝太郎の前まで連れて行く。
孝太郎はコーヒーをすすりながら少し暗い外を窓越しに見ていた。
「海原君、一緒に飲んでもいいよね?」
「俺は構いません」
京子の質問に孝太郎は無表情で答えた。
「あ、あの…体育館でときどきすれ違いますよね?私、矢神 沙羅(やがみ さら)です」
「矢神?って、もしかして先生の…?」
「正解。でも、娘じゃなくて妹ね。私、25だから」
沙羅が自己紹介したとき、孝太郎が少し反応して聞くと、京子はそれを狙ってたかのように答えた。
「そう言えば、何度か見たかもしれない。俺は中国拳法部の海原孝太郎」
孝太郎が自己紹介すると、沙羅は驚いた。
「え!?もしかして、丹河先生と何度も決闘して一度も負けてないっていう、中国拳法部の青い龍って…」
―――それに、もしかして…。
沙羅は驚きながら何かに気付いているみたいだった。
「くそ丹河のことは確かにその通りだけど、青い龍って何だ?」
「丹河先生と海原君のことは結構有名よ。今日だって私の誘いでここに来る前に一戦やってたじゃない。青い龍の由来は額の青いバンダナじゃないかしら?」
「へぇ、だから武道館で丹河先生が壁にめり込んで寝てたんだ」
沙羅は感心しながら言う。
「ったく、暇つぶしにもならねぇ…傘を持ってないから曇り空のうちに帰ろうとしたら捕まって、抜け出したら雨になってて…」
孝太郎は苦虫を潰したように言う。と、そこに京子が歩み寄って言った。
「なら、3人で一緒に帰らない?送ってあげるわよ」
「そこまでしてくれなくていいです。俺の家は歩いて10分の所にありますから、走って帰ります」
言いながら立ち上がってその場を去ろうとしたが、京子が孝太郎の肩を掴んで引き止めた。
「ダーメ。風邪引いちゃうじゃない。それでも一人で帰るって言うのなら、私の傘を貸してあげるわ」
京子はそう言って一本の折り畳み傘を差し出した。孝太郎は「まぁ、これなら…」と思い、お礼を言って先に帰っていった。
その頃、職員室では…。
「変わった人ねぇ…」
「でしょ?部活が終わるといつも手合わせしてるんだけど、一度も勝てないのよ」
これを聞いて沙羅は驚いた。
「そんな…県大会で何度も優勝している姉さんが一度も勝てないなんて…」
「本当よ。でも、何度も負けてるのに悔いがないのよ」
「そんなに強いの?」
「そうよ。それにちょっと惹かれちゃってね。で、告白したけど見事(?)に玉砕…」
「へぇ、日本拳法一筋の姉さんが恋をねぇ…姉さんに告白されたら、断る人はいないって思ってたけど…」
「振られたけど、それまで通りに教師と生徒というより、友達同士の感覚で話してるかな。彼は敬語使うし、素っ気無いけど、何故か話してて飽きないのよ」
「ふ〜ん」
京子の話を沙羅は興味を持って聞いていた。
そして、孝太郎は…。
京子が貸した傘を差し、何も考えずに下宿先のアパートに向けて歩いていた。
考えずというより、考えたくないみたいだ。
親元を離れて一人暮らしをはじめ、開放感に浸ったものの、満たされないものがあったのも事実だった。
やがて、アパートに着き、どうしようか考えていると、隣の部屋から親友の日向 翔(ひゅうが しょう)がやってきた。
「よぉ、遅かったな。晩飯、一緒にどうだ?」
「悪くないね。ま、一人だとあんまり食が進まないからな」
孝太郎はOKし、翔が適当に買ってきた弁当を食べ始めた。
「帰り遅かったけど、また矢神先生に逆ナンパされてたのか?」
翔はふと思い出し、孝太郎をからかう目的で聞く。
「あのな…今日はコーヒーを一緒に飲んで適当に話しただけだ」
「ふ〜ん。にしても、本当にもったいないことするなぁ。矢神先生が告白するなんて滅多にないことで有名なんだぜ?しかもお前がそれを断ったことも話題になってるんだぞ」
「迷惑千万以外の何者でもねぇ。それに今日は帰ろうとしたら、あのクソ教師に捕まって憂さ晴らしの相手にさせられたんだ」
孝太郎は苦虫を潰したような表情になって言う。
「きっと丹河の野郎は、お前に勝つまで何度も挑むだろうな」
翔が言うと、孝太郎は俯いて首を横に振りながらため息をついた。
しばらくは沈黙になったが、翔がふと思い出して聞いた。
「ところで、孝太郎は何のために中国拳法をやってるんだ?」
孝太郎は手を止めて言った。
「そう言えばまだ話してなかったな…自分の身を守ることと、己に克つためってとこかな?」
「己に克つ?」
翔が疑問丸出しの表情で聞くと、孝太郎は遠くを見るような感じで言った。
「そうさ。人はそれぞれ、コンプレックスや過去のトラウマって言った目を背けたくなるものを抱えてる。だけど、己自身それらから逃げることなく真正面から受け止める強さがあってこそ、人は初めて己を知るんだ。その強さこそが“己に克つ”ことだと思う。そのための力をつけるために、俺は中国拳法を始めた」
「もしかして、過去に何かあったのか?」
翔はふと気になって聞くと、孝太郎は俯いて何も言わなくなった。
「まぁ、無理に聞かないけどな。過去の出来事を自分の強さに変えて生きるのもいいかもな」
「強さに変えて生きる…か…」
「ま、あんまり難しく考えるな。っと、今夜は泊まっていいか?」
「駄目と言ったら、自分の部屋に引きずり込んで泊めさせるんだろ?」
前例があっただけに、孝太郎は苦笑しながら聞いた。
「そんじゃ、ここで寝るぜ」
この後は銭湯に行き、戻ってきて適当に色々話して寝た。
その頃、沙羅は布団の中で考えていた。
職員室で孝太郎と少しだが会話をしたことである。
話を聞く中で、沙羅は感じていた。孝太郎が何か重い物を抱えていること。
そして、度々見せる苦虫を潰したような表情。その中から過去に何かが起きていたことなど。
―――大抵の人は私の姿を見たらでれでれするのに、あの人は無表情。むしろ私のことを拒絶していた。私だけじゃない、姉さんのことも…。
沙羅は人のことはあまり気にしない性格なのだが、孝太郎のことがどうしても気になって仕方がなかった。
拒絶されたのが初めてだからだろう。
そして、京子は居間でお茶をすすりながら、かつて孝太郎に告白して断られたことを苦笑しながら思い出していた。
その断り方というのが…。
ある日の部活が終わり、孝太郎と京子は手合わせをして、孝太郎の勝ちで終わった。
「ふぅ、何度やっても、海原君には勝てないわねぇ」
孝太郎は何も言わずに倒れている京子の腕を引っ張って立たせた。
「でも、不思議と悔しくないのよねぇ…」
これを聞いても孝太郎は無反応だった。
「ねぇ、海原君…」
「何ですか?」
「私の彼氏になってくれない?」
「お断りします」
孝太郎が間を空けずに即答すると、京子はガクッとなった。
このことはあっという間に学校全体で話題になった。京子が告白したことがその理由だが、孝太郎が断ったこともだ。
孝太郎はこれまでにも色々な女子生徒に何度か告白されたが、その全てを即答で断った。
翌日、孝太郎はいつものように登校し、職員室によって京子に借りた傘を返して教室に入り、一人で窓の外を見ていた。すると…。
「あ、海原君。このクラスだったんだ」
孝太郎は聞きなれた声に振り向いた。すると、そこにいたのは…
「矢神さん…」
「お願い事があって、ずっと探してたの」
「お願い事って?」
「今日、部活が終わったら、私と手合わせしてくれない?」
これを聞いて孝太郎は眉毛がピクッとなる。
「別にいいけど、どういう風の吹き回しだ?」
「何となく興味がわいたの。姉さんとどんな風に手合わせしてるのかってね」
「そっか…」
素っ気無い態度をとって沙羅に背を向け、窓の外を見た。
沙羅は何気なく右手に握り拳を作って孝太郎の後頭部目掛けてストレートを放った。
しかし、孝太郎は頭を右に動かしてストレートをかわし、同時に沙羅の拳を左手で受け止めた。
「危ないことはやめろよ。俺が止めなかったら、窓ガラス割ってたぞ」
そう言って手をそっと離す。沙羅は唖然としながら手を引き、教室から出て行った。
そして、このことも話題になるのであった。
この日は何気なく始まり、あっという間に放課後になった。
そして、孝太郎は武道館の更衣室で拳法着に着替え、部活が休みということで体育館へ向かった。
その途中で、拳法着姿の京子に会う。
「あら、タイミングばっちりね。私と海原君って相性いいのかしら?」
「まさか、たまたまでしょう。それより行きましょう。みんな待ってるんでしょ?」
京子は気を引こうとして言ったが、孝太郎は無反応で素っ気無く言った。
京子は孝太郎の態度に苦笑しながら二人で向かった。
体育館に着き、京子は出入り口に孝太郎を待たせて中に入り、説明を始めた。
「今日はちょっと違うことをやるわ。というのは、みんながどれだけ強くなったのかを確かめるために私と手合わせして、その後に見て欲しいものがあるの」
みんなが驚く。ちなみに日本拳法部は男女合同でやっている。
男女ともにかなりの実力を持っているが、京子に勝った者はいない。
そして、京子との手合わせが始まり、一人一人様々な戦法で戦ったが、京子には誰一人として勝てなかった。
全員の手合わせが終わり、京子は微笑みながら言った。
「みんな以前に手合わせしたときよりも強くなってるわね。でね、見て欲しいものというのはね、私とある人との手合わせを見て欲しいの。入ってらっしゃい」
京子が呼ぶと、孝太郎が頭をかきながら入ってきた。それを見て、全員が驚きの声を上げる。
「彼を知らない人はいないわよね?中国拳法部の海原君。私に完全無敗で勝ってる人よ」
「うっそぉ!」
「噂は本当だったのね」
「丹河だけじゃなく、矢神先生にも勝ってるのか」
「それじゃぁ、あのくそ丹河が勝てなくて当然だな」
部員たちがこんな話をしている中、孝太郎と京子は空手で使われているグローブとメットをつけて位置に付いた。
「だれか審判お願い。ルールは寸止めなしのフルコンタクト。時間制限や場外もなし」
「じゃぁ、私が審判をやります」
京子が説明すると、沙羅が間に立った。
「では、両者構えて」
沙羅が言うと、二人は構えた。それだけでかなりの気迫を感じ、一瞬にして静かになった。
「始め!」
沙羅はそう言って二人から間を空ける。その瞬間から、二人の戦いが始まった。
<あとがき>
いきなり教師との決闘から始まり、後になって沙羅に手合わせを申し込まれるという慌しい状態で始まりました。
これからどう展開していくのか、作者もわからない状態です。
しかし、最後まで必ず書きますので、お楽しみいただけるとありがたいです。
短文ですが、以上です。