第3話

「旅先で…」

夏休みに入り、ほとんどの生徒は休みに入る2週間ほど前から出されていた宿題をやり終えてしまい、退屈な一月半を過ごすことになるだろう。
だが、休みの終わり間際に宿題で大慌てするのとどっちがいいだろうか?

翔は空手部の合宿でとある旅館に行って部屋にいない。京子たちは学校で練習したが、孝太郎がいないことに物足りなさを感じていたみたいだ。
中国拳法部はそれぞれ自由に修行なり稽古なりやっている。夏休み前に大会があったのだが、孝太郎は「本来なら、自分には試合に出るどころか、拳法を使う資格もない」と言って出場を辞退した。
誰がどんなに強く説得しても孝太郎は聞く耳を全く貸さなかった。それでも何とか優勝に持っていくことができた。
そして、孝太郎はというと…。
「ふぅ、飛行機でも北海道は遠いなぁ…」
そう。孝太郎は翔に話したとおり、一人旅を始めた。行き先はまず北海道に行き、そこから東京まで下ろうということにしている。
「おい、そこの兄ちゃんよぉ」
当てもなく歩いていると、一人のチンピラに声をかけられた。
「何だあんたは?」
「命が惜しけりゃぁ、何も言わずに金目の物置いていきな」
そう言ってナイフを突きつける。が、
「そのナイフを質に入れりゃぁ少しは金になるだろ?」
孝太郎は怯えずに平然と言った。
「このぉ…ふざけやがって」
「ふざけてんのはどっちだ?そうやって人を脅す度胸があるなら、まともに働いて稼げばいいだろ?」
「うるせぇ!」
チンピラはナイフを振り回したが、孝太郎はナイフを持っている腕を掴み、もう片方の手で顔面に裏拳を食らわせて気絶させた。
「ったく、本当に世の中物騒になったなぁ…」
愚痴りながらナイフを拾う。
「こいつはもらっとくぜ?質に入れりゃぁ飯代ぐらいにはなるだろ」
「あんた、強いのぉ」
ナイフの刃を納めてどこかに行こうとした時、一人の老婆が声をかけた。
「ん?」
「こやつはこの辺ではかなりの嫌われ者での。誰か退治してくれんかと思っとったとこじゃ」
「ふ〜ん」
「あんた、見たところ、旅の者のようじゃな。当てはあるのか?」
「いいえ。どこか旅館を探して、一晩泊まろうと思います」
「ならうちにこんか?飯と布団ぐらいしか出してやれんがの」
「それだけあれば十分です。じゃぁお言葉に甘えて…」

そして、孝太郎は老婆とともにその家に行った。その途中で偶然質屋を見つけ、チンピラから奪ったナイフを質に入れたのは余談だ。
「実は、わしのせがれはこの町の町長をやっておっての。だが、あんたが倒した男のせいで評判が悪かったんじゃ」
「警察は動いてくれないのですか?」
「動いておったらあやつはとっくに鉄格子の中じゃ。交番はあっても、おまわりが腰抜けでのぉ」
そんなことを話しているときに玄関の扉が開く音がした。
「ただいま、今帰ったぞ。おや、お客さんかい?」
「おじいさんか…」
老婆が呟くと、老父が二人の前に姿を現した。
「お邪魔してます」
孝太郎は初対面と言うこともあって丁寧に挨拶した。
「ほぉ、若い青年じゃのう」
老父が感心していると、老婆は先ほどの出来事を話した。
「ほぉ、あやつを一発で…しばらくはこの辺りも大丈夫じゃな」
「安心はできません。ああいうのに限ってかなりしぶといですから」

そんなこんなで夕飯を食べ、その後も老夫婦と雑談を交わし、この日は終わった。

翌朝の午前6時ごろ。
「お早うございます」
「おぉ、早いのぉ」
孝太郎が元気よく挨拶すると、老婆が振り返って言った。
「あれ?おじいさんは?」
「まだ寝ておるよ」
「そうですか…」

老婆は朝飯の準備を始め、孝太郎も手伝った。
「ところで、あんたはこれからどこへ行くのじゃ?」
「とりあえず、青森へ…」
「ほぉ、青森か…」
老父がいつの間にか起きてきて声をかけた。
「はい、この北海道を始点にして、終点は東京にしてるのです」
「ほぉ、大きな計画を立てたのぉ」
「夏休みを利用して、以前から立ててた計画ですから」

そうしているうちに飯ができ、3人で食べ、孝太郎は出かける準備をして外に出た。
「お世話になりました」
「元気でな」
「はい。おじいさんもおばあさんもお元気で」
「これは握り飯じゃ。持って行きなさい」
老婆はそういいながら笹の葉に包まれた握り飯を渡した。
「ありがとうございます。では、これで…」
孝太郎はそう言って振り返らずに歩き出した。

「不思議な子じゃなぁ」
「おじいさんもそう思ったか…まるで実の孫みたいじゃったなぁ」

そして、孝太郎は電車に乗り、青函トンネルを抜けて青森に着いた。その途中で老婆にもらった握り飯を食べていたのは余談だ。
「ふぅ、結構長かったなぁ…」
駅を降り、北海道に着いたときと同じように当てもなく歩き始めた。
「お願いですからここを通してください」
「そうはいかねぇ。昨日言ったろ?ここは俺様の土地になったんだ」
中年の主婦が何かをせがむように立ちはだかる20代前半ぐらいの男に頼んでいる。どうやら行く先はリンゴ園のようだ。
「そんな話聞いてません。あれはあなたが勝手にここを自分のものにして、それを取り返したからもうあなたの土地ではありません」
「あんな取り返し方をされちゃぁ納得できねぇんだよ」
「そんな…」
「なら力ずくででも通してもらうわよ」
二人の間に入るように孝太郎と同い年ぐらいの女性が近づいた。
「なんだおめぇは?」
「誰だっていいじゃない。それよりあなたはこの土地の人間じゃないんだから、警察が来たら不法侵入で捕まるわよ!?」
「へっ。警察が何だってんだ。お前ら出て来い!」
男が言うと、木陰から男と同じぐらいガラの悪い男が10人ぐらい出てきた。
「危ないから逃げて」
女性は主婦に逃げるように言い、主婦は逃げようとしたが、仲間の一人が立ちはだかり、逃げ場を失った。
「おっと、あんたはちょっと役に立ってもらうぜ…ぐあ!
主婦を捕らえようとして手を伸ばしたが、触れる直前に吹っ飛ばされた。孝太郎が後ろから男のわき腹に裏拳を入れたのだ。
「さ、俺たちのことはいいから早く逃げて」
「は、はい。どうかご無事で」
主婦はそう言って振り返ることなく走り去った。
「くっそぉ、次から次へと邪魔ばかりしやがって」
「今まで散々悪事を働いた報いだとでも思うんだな」
「手出しは無用よ!怪我をしたくなかったら去りなさい!」
女性は孝太郎に言ったが、孝太郎は引き下がらなかった。
「もう逃げられない。だからここで暴れてやろうじゃないか」
孝太郎は女性に歩み寄った。
「自分から入ってくるなんてバカそのものね。どうなっても知らないわよ」
「それでもいいさ。あんたの背中は俺が勝手に守らせてもらうぜ」
孝太郎は女性と背中を合わせて立つと、拳法の構えを取った。
「くっそぉ、かかれ!」
男の一人が言うと、一斉に襲い掛かった。
だが、女性は一人づつ確実に倒していき、孝太郎も相手を吹っ飛ばして木に当てたり仲間に当てたりして、残りは二人になった。
「なかなかやるわね」
「そういうあんたもな」
女性と孝太郎は背中合わせで立ち、その二人を挟むように男二人が立っていた。
男二人が一斉に襲い掛かったが、孝太郎は攻撃を回避してストレートで吹っ飛ばして木に当て、女性は攻撃をガードして相手の腹に一撃を当てて倒した。
「なかなかの強さね」
女性は孝太郎に振り向いて言った。
「あんたこそ、こいつらに喧嘩を売るだけのことはある」
孝太郎も振り向いて言うと、女性はクスリと笑った。
「何かおかしなことでも言ったか?」
「違うの、素直な奴だと思ってね。普通は女ごときに…なんて文句を言うはずなのに」
「ふ〜ん。ま、いいか。んじゃ、旅の途中だから俺はこれで」
孝太郎は近くに隠しておいたリュックを背負って立ち去ろうとした。
「当てはあるの?」
「どっか旅館でも探すさ」
孝太郎は背を向けて歩きながら言ったが、
「じゃぁうちなんてどう?」
これを聞いて孝太郎は歩みを止めて顔だけ振り向く。
「私の家、旅館をやってるの。泊まりにこない?」
「う〜ん。宿泊料金によるなぁ」
「細かいこと気にするのねぇ」
「あんたも一人旅してみればわかるさ」
「一人旅かぁ。私もやってみたいんだけどねぇ…」
女性はどうやら家の都合などでできないみたいだ。
「ま、旅館には行ってみようと思う。泊まるかはその時に決めるってことでいいだろ?」
「そうね。あ、自己紹介がまだだったわね。私は青島 留美(あおしま るみ)」
「俺は海原孝太郎。んで、こいつらどうする?」
孝太郎は自己紹介し、周りに倒れている男たちを見て言った。留美は一瞬、何かが気になった。
「警察が来るまでこのまま寝かせておきましょ」
留美が言うと、孝太郎は苦笑し、二人は留美の家、つまり旅館に向けて歩き出した。

「ただいまー!」
留美が玄関の扉を開け、元気よく言うと、奥から着物姿の女性が出てきた。
「おかえりなさい。あら、お客さん?」
「はい。今夜一晩ですが、お世話になります…ん?」
孝太郎は着物姿の女性に挨拶した後、どこからか聞こえてくる威勢のいい声に気付き、左右を見た。
「あ、うちね、道場もやってるのよ。見に行ってみる?」
留美が聞くと、孝太郎は頷き、部屋に荷物を置いた後で留美に道場まで案内してもらった。

そして、案内された道場では男女や年齢を問わずに空手の練習をしている人たちがいた。
「へぇ、結構活気があるな」
「うん。実は、旅館の経営はこの道場で持ってるようなものなの。旅館の儲けはほとんどないから。お父さんが空手の師範をやってるから助かってるの」
「ふ〜ん」
「お、留美じゃないか。横にいるのは?」
空手着に黒帯を巻いている男が、何気なく出入り口を見たとき、留美がいるのに気付いて歩み寄った。どうやら留美の父親のようだ。
「旅の人。で、宿泊先を探してたみたいだから連れてきたの」
「ほぉ、商売が上手いな。どうでもいいことだが、私と手合わせして勝てたら無料で宿泊させてやるぞ?」
これを聞いて留美は呆れるような仕草をしながら苦笑する。
「だめよ。お父さんに勝てた人なんて、矢神 恭平(やがみ きょうへい)さんしかいないんだから。その矢神さんでも勝てたのがやっとっていうぐらいだし」
これを聞いて孝太郎は驚いた。どうやら留美の父親の強さは伊達ではないといったところか。
矢神恭平…日本拳法の世界大会で連続優勝している達人。その恭平が苦戦するぐらいだから相当な強さを持っているのだろう。
孝太郎はある話を思い出した。恭平と唯一互角に渡り合えた男、青島 達夫(あおしま たつお)のことを。その達夫が今、自分の目の前に…。
「確かに、恭平君との戦いは凄かった。だが、男嫌いの留美が笑顔で連れてくるぐらいだ。君もただものではないのだろ?」
「そうね。さっきチンピラと喧嘩したけど、かなり腕が立ってたし」
「ほぉ。そいつは楽しみだ」
二人で勝手に話を進められて孝太郎は戸惑っていた。
「とにかくね、海原君。一度お父さんと手合わせしてあげて。お父さん、体がなまってるみたいで…」
「う〜ん。俺、中国拳法だけどいいの?」
孝太郎はいつもなら迷うことなくOKしたのだが、今回は並の相手ではないと悟ったのか、頭をかきながら考えていた。
「私は格闘の心得を持っているのなら流派は何でも構わないよ…ん?海原君って、それに額に巻いている青いバンダナ…もしかして君、ある高校で中国拳法部の青い龍って噂されている海原孝太郎君か!?」
「ど、どうしてそれを!?」
「え!?君が!?…そっか…君の名前、どこかで聞いたような気がしてたけど…そうなんだ…」
達夫が聞くと、孝太郎と留美は驚いた。
「格闘家たちの間では結構有名だよ。私も一度君に会ってみたいって思っててね。それが叶って光栄だよ」
達夫は微笑んでいた。

そんなこんなで達夫ともすっかり打ち解け、昼近くという事もあったので食事をした。
その後、孝太郎は一人で誰もいない道場の中を見ていた。
中はかなり広く、板張りの壁のあちこちに大小さまざまな穴が開いていた。
「後ろでこそこそする必要はないと思いますけど?」
孝太郎は独り言のように言ったが、孝太郎を驚かそうとしていた男、達夫はギクッとなった。
「よ、よくわかったねぇ…君こそ、一人で何してるんだい?」
「ただ見てるだけです」
「そうか…で、どうだ?今から私と手合わせしてみるかい?」
どうやら始めから頼もうとしていたらしく、空手着を着ている。
「…俺でいいのなら、いつでも…」
「私は君だからやってみたいんだ」
そして、孝太郎は更衣室でリュックに入れていた拳法着に着替えて達夫の前に立った。
周りには、いつの間にか大勢の観客がいた。留美もその中にいる。
「準備がいいね」
「一応持ってただけです。まさか本当に使うとは思いませんでしたけど」
二人の間に審判が立つ。
「両者、構えて」
この合図で二人は構えを取る。お互いに手を伸ばせば触れる距離にいる。
達夫の顔にさっきまでの緩やかな表情はなかった。
孝太郎はずっと無表情だったが、構える前までとは雰囲気が違っていた。どうやら達夫から感じる気迫に一筋縄ではいかないことを悟ったようだ。
達夫もいつになく真剣だった。自分より少し小さな孝太郎の体から感じる気迫に圧倒されそうになったのだろう。
「始め!」
これを合図に達夫は鋭いストレートを放ったが、その先に孝太郎はいなかった。
孝太郎はいつの間にか達夫の懐に立ち、右の掌で何かを押すような攻撃を達夫の胸に当てた。
達夫は少し浮いたが、着地寸前に足を踏ん張って倒れるのを防いだ。
みんなはこれを見て驚くしかなかった。
そしてここから、二人の激戦が始まった。


<あとがき>
孝太郎の一人旅。
青森で出会った空手の達人との勝負。
はたして、勝敗の行方は…?
それらは次回に書きます。
短文ですが、以上です。

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