第4話

「空手の達人と青い龍の勝負」

孝太郎が最初に当てた一撃で達夫は驚かずにいられなかった。
達夫は先手必勝を重視して攻撃を繰り出したが、それを見事に回避され、それどころか逆に当てられたからだ。
それ以上に、一撃を食らったはずなのに痛みを全く感じなかったのが不思議だった。
それを隠すかのように達夫は鋭い攻撃を何度も繰り出す。孝太郎も同じように攻撃を繰り出した。
二人とも自分の攻撃で相手の攻撃を防いでいる。
そうしているうちに達夫のストレートに孝太郎のストレートが激しくぶつかり合った。
「「っく…」」
二人はしばらく硬直し、苦虫を潰したような表情になる。
達夫はバックステップで間を空け、孝太郎は体制を整える。
「空手11段の私にここまでやるとは…君で二人目だ」
「こんなに苦戦したのは久しぶりです。でも熱くなってる自分がいるから不思議です」
お互いに不適に微笑み、ダッシュで一気に間を縮め、達夫は上段蹴り、孝太郎はストレートを繰り出した。
それぞれの攻撃が激しくぶつかる音が道場に響いた。
達夫の蹴りは孝太郎の顔の側面にヒットし、孝太郎のストレートは達夫の胸にめり込んでいた。
二人は硬直し、しばらくしてその場に倒れた。
「っく…まだまだ…」
先に孝太郎が起き上がった。
「私もだ…ここまで熱くなるのは久しぶりだ」
少し後に達夫が立ち上がり、またお互いの攻撃が何度もぶつかり合う。
そんな中で孝太郎は右手を左から振り回して裏拳を繰り出したがかわされ、その直後に放った左ストレートもかわされたが、諦めることなく体を時計回りにひねってその勢いで左足のとび回し蹴りを放ったがそれもかわされてしまい、達夫は左足で蹴りを放ったが、それが孝太郎の背中に当たると同時に顔の側面に孝太郎の右ソバットが当たった。
「「ぐあっ!」」
孝太郎は空中に浮いていたこともあり、背中に強い衝撃を受けたはずみで腹から落下。
達夫は孝太郎に当てられたソバットで横に少し飛んで倒れた。
「タイムアップ!それまで!」
しばらく二人は倒れたままになっていたが、しばらくして同時に立ち上がった。
「なかなかやりますね」
孝太郎は荒い息をしながら言った。
「君もな…だが、私の負けだ」
達夫も荒い息をしながら言うと、それを聞いたみんなが驚いた。
「最初に君が懐にいることに気付かず、一撃を食らった時点で私の負けはすでに決まっていたのだ」
「そうでありながら降参せずに続けたのは、相手に失礼だと思ったからですね?」
「そうだ。もしかしたら、君を驚かそうとして気配を消して後ろから近づいたのに、それがバレた時点で負けは決まってたのかもな…」
二人は礼をして握手をした。
「勝ち負けは最後まで決まりません。本当に始めから決まっていたものだとしても、行動次第でそれは変えることができるんです」
―――運命でも同じことだ。あの時も、周りを気にせずに動いていれば…きっと今も…。
孝太郎は一瞬だけ悲しげな表情になった。
「そうだな。君との試合はいい勉強になった…っと、最初の約束どおり、宿泊費は無料だ」
達夫が言い終わると、観客から拍手と歓声が響き渡った。
「よかったじゃない。私も久しぶりに興奮しちゃった。それにあんなすごい戦い方を見たのは初めて」
留美が孝太郎に歩み寄りながら言った。

孝太郎と達夫は汗を大量にかいていたこともあって二人で露天風呂に入った。
「試合後の風呂は気持ちいいなぁ」
「そうですね…」
達夫は本当に気持ちよさそうだったが、孝太郎は呟くように言った後、自分の右手を見て何か考えていた。
「そう言えば、君の拳は汚(けが)れを訴えていたぞ?」
「やっぱり、達人の目は誤魔化せませんか…お察しの通り、俺の手は血で汚れているのです」
孝太郎はそうなるまでの経緯を話した。

「なるほど…だが、君の手は綺麗だよ」
達夫が言うと、孝太郎は驚きながら振り向いた。
「元から汚れてなんていない。君の迷いのないストレートにそれを感じたよ」
「…」
「ま、後は君の考え方次第だ」
しばらくして二人は風呂から上がった。

夕飯を食べて夜になり、寝る時間になったが、孝太郎は一人で外に出て星空を見上げながら考えていた。
「俺の手は綺麗…か…」
しばらくして呟くと、自分の右手を見た。
―――あの時、この手は確かに血で汚れたのに…
達夫は言ったが、孝太郎には納得ができなかった。
少しして孝太郎は部屋に戻り、布団に潜った。

翌朝。孝太郎は6時ごろに目を覚まし、庭で大きく伸びをし、シャドーボクシングのような感じで素振りをやっていた。
庭はかなり広く、しかも何もないので素振りにはうってつけのようだ。
孝太郎は目を閉じて手と足を使って連続攻撃を繰り出しながら攻撃の勢いで少しづつ前に進んでいる。最後にとどめの一撃を放ったとき何かに当たり、驚いて目を開けると、防御体制で達夫が立っていた。
「あれだけ連続で放っているのに疲れを知らないとは…」
達夫は庭に一人で立っている孝太郎を見つけて声をかけようとしたのだが、孝太郎の目に見えないほどの素早さと30連発以上の連続攻撃を見て驚いた。
「最初の頃は6発目ぐらいでへとへとでしたけどね」
「かなりの強さを内に秘めているのだな…私は歳だからもう無理だがな…」
「歳をとっても腕前が健在な人はいくらでもいますよ。あの人なんかそうじゃないですか」
「私に空手を教えてくれたあの御方か…そうだな…」
二人は遠くを見た。

その後、孝太郎は朝飯を食べ、荷物の確認をして外に出た。
「もう行くのか?」
孝太郎を見送っている人たちの一人の達夫が聞いた。
「はい。旅に長居は禁物ですから」
「残念だなぁ…せっかく知り合えたのに…」
留美は本当に残念そうだった。
「いいじゃない。今日で最後ってわけじゃないんだし、今度ゆっくりしてもらえばね?」
旅館に着いたとき、留美と孝太郎を出迎えた着物姿の女性が言った。どうやら留美の母親のようだ。
「そうだな。また来てくれることを願うよ。そのときはまた手合わせしよう」
「そうですね。では、これで…」
孝太郎は北海道で老夫婦に別れを告げたときと同じように振り返らず歩き出した。

「また、来てくれるかなぁ?」
留美は小さくなっていく孝太郎の背中を見ながら言った。
「きっと来てくれるさ。それがだめなら、留美から会いに行けばいいだろ?」
達夫は留美の肩に手を乗せて言うと、留美は顔を赤くした。
「でも不思議ね。もう一泊してもらいたかったけど、未練が全然ないのよ」
留美の母親が言った。

一方、その頃。
沙羅は自分の部屋でベッドに仰向けの状態で横になってため息をついていた。
「どうして何も言わずに旅に出るのかなぁ?」
孝太郎が旅に出たことは、翔を通じて耳に入った。
「それだけ海原君は私のことを何とも思ってないってことか…」
独り言を言って少し転がって落ち込む。
「あの時のこと…覚えてないのかなぁ?」

「これは修羅場になりそうね。でも、海原君が振り向いてくれないからなぁ…」
沙羅の呟き声を部屋の外から聞いていた京子は一言呟くと、沙羅に気付かれないようにそっと立ち去った。

それからあっという間に数日が過ぎ、孝太郎はいつの間にかアパートに帰っていた。
「よぉ。北海道から東京までの旅はどうだった?」
翔が部屋に入りながら言う。
「けっこう楽しかったぜ。それに、空手の達人に会えたしな」
「新聞にデカデカと載ってたぜ。お前その空手の達人と試合して勝ったんだってな?」
翔はそのときのことが書かれている新聞記事の切抜きを見せた。そこには「空手の達人、中国拳法の青い龍に敗れる」と大きく書いてあった。しかも何処で撮ったのか、その現場の写真が載っており、少しぼやけていたものの、二人の特徴である達夫の少し長い顎鬚と孝太郎の青いバンダナがはっきりと写っていた。
「確かにそうだけど、ほとんどまぐれみたいなものだったなぁ」
これを聞いて翔は「誤魔化すな」と言いながら孝太郎の背中をバン!と叩いた。
「げほ!」
この後は他愛ない話しをして笑い合っていた。

翌日、孝太郎の部屋に京子が尋ねてきた。
「あれ?先生」
「数日振りね。実は頼みがあってきたんだけど、今いいかな?」
「構いませんよ。とにかく上がってください」
そう言って京子を部屋に招きいれた。
京子は孝太郎が用意した座布団に座り、孝太郎はお茶を用意した、
「新聞見たわよ。かなり有名になったわね」
「俺は特に気にしてません。もしかして、そのことでからかうために来たのですか?」
京子は一瞬ギクッときた。それを隠すためにわざとらしくお茶を一口すする。
京子はよく人をからかって遊ぶのだが、孝太郎には全く通用しなかった。
「ま、まさか…で、頼み事ってのはね、休み中の部活の手合わせとかしてくれないかと思って…」
「まぁその程度ならいいですけど、わざわざここに来ずに電話で言えばよかったんじゃないですか?」
「そうかもしれないけど、海原君の顔が見たかったってのもあるしね」
京子ははにかんでいたが、孝太郎は呆れていた。
「それなら、部活中は嫌でも会うから今じゃなくてもいいでしょうに…」
孝太郎が愚痴るように言うと、京子はため息をついた。

この後は色々話して京子は家に向けて歩いていた。
嬉しさと悲しさが混じったような表情で、足取りは普通だった。
「ダメだなぁ…しかも知ってて跳ね除けるし…」
京子の後姿を遠くで見ている女性がいた。
「姉さん…海原君のこと…」
沙羅は京子と激戦になること間違いなしと悟った。

「まったく…俺の気持ちを知ってて近づいてくるんだから…」
孝太郎は京子が帰っていった後、部屋の真ん中で仰向けになって愚痴を言った。
「…あのとき、引き止めていれば…今もきっと…」
何気なく独り言をいい、起き上がって机の引き出しの中に入っている1枚の少し古くなった写真を見る。
その写真には、小学生ぐらいの少年と、手を繋いでいる一人の少女が写っていた。
少年はどうやら孝太郎のようだ。
「…もし願いが叶うのなら、もう一度会いたい…声が聞きたい…」
孝太郎は写真を見ながら呟き、一粒の涙を足の上にこぼした。

翌日から、孝太郎は日本拳法部に参加し、部活が終わると京子と沙羅の手合わせをやっていたが、一度も負けることはなかった。

数日後の夏祭り。翔は孝太郎を連れて町内の神社にやってきた。
この神社は孝太郎にとっては忌まわしい思い出があったのだが、塗り替えられない過去から目を背けるわけに行かないと自分に言い聞かせてやってきた。
翔と孝太郎は中学のときから来ていたためにすんなりとくることができた。
神社についてから二人は別行動をし、翔は何気なく歩いていると浴衣姿の京子と沙羅に会った。
「あら、日向君じゃない」
「先生、こんばんはです」
「あれ?海原君は?一緒じゃないの?」
沙羅は翔が来ているなら孝太郎と一緒だと思っていたが、隣に姿がなかったので周りを見ながら聞いた。
「孝太郎とは別行動でうろついてるから…」
翔が何の迷いもなく言うと、二人はガックリとした。
「…ふぅ…一緒じゃなくて正解だったぜ」
少し離れたところで孝太郎は呟いた。

夜も9時を回り、孝太郎は翔との待ち合わせ場所の神社の出入り口に一人で立っていた。
そこへ翔が一人でやってきて、一緒に帰っていった。
「矢神さんと先生がお前のこと探してたぞ。会わなくてよかったのか?」
「いいんだ。会っても話すことはないし、今日は特に会いたくなかったから…」
「そうだったな…先生たちとは部活で嫌というほど会ってるからなぁ」
「1日に2回も会いたくないし、俺の気持ちを知りながら会う度に告白まがいなことを言って気持ちをアピールしてくるんだから…」
今日の部活で、孝太郎は京子と沙羅に夏祭りに一緒に行こうと誘われたが、孝太郎はきっぱりと断った。

それからまた数日が過ぎて夏休みが終わり、始業式の次の日。
孝太郎はいつものように窓際でボーっとしていた。
「見つけたー!!海原くーん!!」
女性の甲高い声が聞こえ、孝太郎は何事かと振り向くと…
「え?…おわっ!?」
孝太郎は抱き付かれたらしく、前が何も見えなくなった。
女性は離れ、孝太郎は誰かと思い、顔を見ると…
「あ、青島さん!?」
「こ、孝太郎…その人、誰だ?」
現場を見た翔が驚きながら歩み寄って聞いた。
「空手の達人で有名な青島達夫さんの娘の留美さんだ。で、青島さん、こいつは俺の中学のときからの親友で翔って言うんだ。この学校では空手部に入ってる」
「は、初めまして。日向翔です」
孝太郎が紹介すると、翔は少し硬くなって自己紹介した。
「へぇ、空手部なんだ…私も空手やってるの。よろしくね」
留美はそう言って翔に手を出し、翔はそれを見るとおずおずと手を出し、手が触れた瞬間、留美が翔の手を握って握手をした。
実際、留美が男を目の前にして微笑んだり、自分から握手を求めるのは珍しいことだった。
過去に男に騙された経験があるため、極度の男嫌いになっていたのである。
「海原君と同じ、真っ直ぐな目をしてる」
「そ、そうかな?」
翔は顔を少し赤くして頭をかいていた。
「そう言えば、いつからここに?」
「昨日からよ。そういえば昨日は会わなかったね?」
孝太郎が聞くと、留美は笑顔で答えた。
「クラスが違うし、昨日は始業式で半日だったからなぁ…」
翔がもっともらしいことを言う。孝太郎が何気なく留美の後ろを見ると、沙羅が沈んだ表情で立っていた。
「矢神さん…どうした?」
「海原君…青島さんとはどういう関係なの?」
孝太郎が声をかけると、沙羅は何かに怯えながら聞いた。
「どういうって…夏休みに一人旅してたときに、青森で知り合った人ってぐらいだけど…」
これを聞いて沙羅は少しほっとする。
「あ、矢神さん。誤解されてしまったみたいね」
「二人とも、知り合いなのか?」
留美の話し方を聞いて、翔は気になって聞いた。
「だって、矢神さんは同じクラスで席も隣同士だから」
このあとは4人で雑談を交わし、チャイムが鳴ったので沙羅と留美は教室から出て行った。
「驚いたなぁ…学校で有名な人が一人増えたぜ。これで4人目だ」
翔が教室の出入り口を見ながら言うと、孝太郎は翔に振り向いて聞いた。
「4人?3人じゃないのか?」
学校で有名な人というのは、京子と沙羅。理由は恭平の妹。そして、達夫の娘の留美で3人のはずだが…
「何言ってんだよ。空手の達人を苦戦しながらも打ち負かしたお前がいるじゃないか」
孝太郎はため息をつきながらも頭の中で「なるほどね」と思う。
同時に、掲示板に自分が達夫に勝った記事が貼られていたことを思い出した。
―――青島さんは自分の父親が俺に負けた記事がデカデカと新聞記事に載って嫌じゃなかったかな?
留美のことを考えると、達夫に勝ったことを素直に喜べない孝太郎だった。
こんなことがなくても、丹河を何度も打ち負かし、しかも京子との手合わせで一度も負けてないことで既に有名になっていたのだった。

この後、思いもよらない事態が起ころうとは誰も予想しなかっただろう。


<あとがき>
達夫との勝負で苦戦しながらも勝利した孝太郎。
温泉での達夫の一言は孝太郎に何か影響を与えたみたいだが…。
旅が終わり、京子が尋ねたが、相変わらず女性に対して壁を作っている。
夏休みが終わって、西高に転校してきた留美。
留美は孝太郎だけでなく、翔のことも気に入ったみたいだ。
そして、この後に起こる思いもよらない事態。
みんなはどうなるのだろうか?
今回はここまでです。
短文ですが、以上です。

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