第7話

「勝敗の行方」

京子は部屋に戻って自分の荷物を確認すると、確かに何者かに探られた跡があり、宿泊費用は抜き取られていた。
男子部員の部屋にみんなが集まっており、これからどうするかを話し合っていた。
「あの時、起きて調べればよかったな…」
「そうだな…」
孝太郎と翔は少し後悔していた。
「こうなったのも私の管理体制のずさんさね。だから、責任を取るためにも私が対決するわ」
京子が言ったが、それを偶然聞いた律子が入ってきて止めた。
「駄目よ。京子、あなた私との勝負に一度でも勝ったことある?」
これを聞いた京子は沈み込む。律子と京子は今でもたまに会っては手合わせをしているそうだが、京子が律子に勝ったことは一度もなかった。
「あのお婆ちゃんにはお母さんでも勝てなかったのです」
律子の後ろから、孝太郎たちと同い年ぐらいの女性が顔を出して言った。
「あなたは?」
「初めまして。私、川井律子の娘で仁美(ひとみ)と言います。空手部の主将をやっています」
京子が聞くと、仁美は丁寧に自己紹介した。
「何か怪しくないか?」
3人のやり取りをよそに翔が顔をしかめて言った。
「何が?日向君」
留美が聞いた。
「どうして矢神先生の荷物の中に宿泊費があることを知ってたのかってことさ。それにさっき見てみたら、“矢神先生の荷物だけ”が探られてたみたいだったぜ。先生の荷物がどれかを知ってて、しかもその中に宿泊費があることを知ってるってことは、内部の人間の犯行みたいだな」
孝太郎が言うと、全員が納得した。そして、孝太郎には一人だけ心当たりがあった。

色々話し合った後、春江との対決は翔がすることになった。
翔は先日、空手8段になり、主将クラスの強さになった。いつからかはわからないが、『赤い虎』と呼ばれるようになり、孝太郎に次いで、丹河を打ち負かすことのできる生徒になった。
「なんじゃ、龍と対決できるかと思ったら…」
「その前に赤い虎が相手になりますよ」
春江がつまらなさそうに言うと、翔は少し腹立たしい気持ちになったが、孝太郎がそれを抑えるかのように近寄って言った。
「赤い虎…あいつがそうやったんか…」
誠司が呟いた。
「翔、俺がいつも言ってること、忘れてないだろうな?」
「耳にタコができるぐらい聞かされてることだから嫌でも覚えるさ。“勝ち負けにこだわらず、負けても悔いのないように全力で戦え”だろ?」
「そうだ。それにな、お前がどれだけ強くなったかを見てみたいんだ。しっかりやれよ」
孝太郎はそう言って観客たちの中に入っていった。
「では、両者構えて」
審判として二人の間に立った夏目が言う。二人の距離は、お互いが手を伸ばせば簡単に触れることができるぐらいに近づいていた。
「こんなに近くでいいのかの?」
「孝太郎と手合わせをするときはいつもこの距離でやってますから」
「始め!」
春江が聞くと、翔は不敵な笑みを浮かべて言い、少しして夏目が言った。
それを皮切りに二人の攻撃が始まった。
翔は左ストレートを出し、春江は右足の上段蹴りを繰り出すと、翔の拳は春江の額に当たり、春江の右足は翔の脇の下に当たった。
二人は少しよろめいてすぐに体制を立て直す。
春江は隙を見せずに翔のみぞおちの部分に掌を当てて壁際まで吹っ飛ばし、翔は足で踏ん張って倒れることなく防御体制になっていたが、そこへ春江が回転しながら踵蹴りを繰り出し、翔は少し横に動いて回避すると、春江の踵が壁に穴を開けた。
翔は一瞬驚き、それを隠すかのように右足でソバットを繰り出し、それが春江の背中に当たったはいいが、いつの間にか繰り出されていた春江の蹴りが翔の額に当たり、春江は腹から落ちそうになるところを踏ん張って足から着地。翔は吹っ飛んで仰向けになると動かなくなった。
「翔!!」
動かなくなった翔を見て孝太郎は駆け寄り、気絶していることがわかると少し安心した。
「ちょっといいかの?」
ゆっくりと歩いてきた春江が言う。
「え?あ、はい」
孝太郎が許可をすると、春江は翔の背中を強く押して気付けをした。
「ぐっ…こ、孝太郎…」
翔は少し苦しんだが、周りを見て、孝太郎が傍にいることに気付いた。
「気が付いたか…まさかあんなに強くなってるなんて…」
「やっぱり負けたか…でも、悔いはないぜ」
「まさかわしにここまでやるとは…接近戦で挑んでくるのはお主で二人目じゃ」
翔と春江は微笑んでいた。
「一人目は山下君ですね?」
孝太郎が聞くと、春江は何も言わずに頷く。
「宿泊の件は、どうなりますか?」
「英次ほどではないが、興奮したし、楽しかったのは本当じゃ。約束どおり、無料じゃよ」
翔が聞くと、春江は無邪気な表情で言い、孝太郎と翔は安心し、観客たちは一斉に拍手をした。
「じゃがの…」
「まだ何か?」
納得がいかなさそうに言う春江に孝太郎が聞いた。
「龍よ、お主との勝負は絶対にさせてもらうぞ。わしの愛弟子、青島達夫を打ち負かしたお主の腕、わしにも見せてもらうぞ」
「わかりました。俺もお婆ちゃんとはやってみたいと思ってましたから」

この後、全員は道場を後にしたが、春江だけが残っていた。
「わしがどれだけ威圧をかけても怯えんとは…まさかあやつが…」

孝太郎と翔は露天風呂にいた。
「ふぅ、一戦した後の風呂は気持ちいいなぁ」
「体はもう大丈夫なのか?」
「まぁな」
「けど、あんなに強くなってるなんて思わなかったぜ…あのお婆ちゃんには山下君でも一撃しか当てられなかったのに…」
「一か八かでやってみたんだ。俺も当たったことに驚いてるんだ」
「そっか…でも、まだまだこれからだ」
「そうだな。これからも頼むぜ」
「もちろんだ」
しばらくして風呂から上がった。

夕飯を食べ終わり、みんなで道場に行き、孝太郎と春江が勝負することになった…のだが…
「待てや!」
誠司が孝太郎と春江の間に立った。
「青い龍!まずはわいと勝負や!あん時の屈辱、絶対に晴らさせてもらうでぇ!」
孝太郎は仕方がないという気持ちだった。
「どうやらお預けのようじゃな」
「そうみたいですね…」
春江は観客の中に入り、誠司が正面に立ち、勝負が始まった。
「これでも食らえ!!爆裂拳(ばくれつけん)!!!」
誠司はそう言いながら連続でパンチを放つ。前に手合わせしたときよりも早くなっていたが、孝太郎は以前の時と同じように全て掌に受け止めていた。
そして、孝太郎は一瞬のスキをついて誠司の胸に掌を当て、場外に吹っ飛ばした。これを見てみんなは驚く。
「な、なんでや?なんで痛みが全くないねん?」
不思議でならない誠司をよそに、今度こそ孝太郎と春江の戦いが夏目の審判の下で始まった。
二人は至近距離に立ち、春江が怒涛の攻撃を繰り出すが、孝太郎は目を閉じて風の流れに身を任せるように回避していた。
―――わしを相手に目を閉じるとは…。
春江の攻撃は衰えることはなかったが、いつからか、孝太郎は目を閉じたまま、全て掌に受け止めるようになった。
そして、春江が右手に溜めた気を放とうとしたとき、孝太郎の掌が春江の胸に当たって春江はその場に少し浮き、足が床に付く直前に孝太郎の伸ばされた腕を両手で掴んで一本背負いをしようとした。
孝太郎はそのまま技にかかり、床に背中を打ちつけるかと思われたが、自分から宙返りをするかのように動き、足で着地してそのまま後ろにいる春江に蹴りを入れたが、春江は手を離して後ろに飛びのいた。
「たった5年でここまで強くなっとるとは…」
春江の呟きに孝太郎はただ不適に笑っていた。
孝太郎は両手に気をグラブをはめるように集めると、ダッシュで一気に間合いを縮めて連続でパンチを放った。春江は掌に受け止めようとしたが、孝太郎の拳の部分が一発づつ巨大に見え、それに驚いて防ぐ間もなく、攻撃を食らってしまった。
孝太郎は容赦なく連続で攻撃を当て、何発かしてアッパーを腹に当て、春江は吹っ飛んで背中から倒れた。
春江が吹っ飛ぶのを見たのは初めてなだけに、みんな驚きのあまりに声が出ない状態だった。
「…っく…いつの間に…」
孝太郎はしばらく構えていたが、腹に痛みを感じて抑えた。
「わしを甘く見るでない」
春江は何事もなかったかのように起きて立ち上がり、構えの姿勢になった。
間合いを縮め、お互いに攻撃を繰り出す。そんな中で時々攻撃を食らったりして、そのうちに春江が孝太郎の額にストレートを当てたが、孝太郎は怯むことなく右足で飛び膝蹴りを繰り出し、春江はそれを防ぎ、孝太郎は右足を引いて左足を春江の左肩に乗せ、そのまま体を捻って時計回りに回って右足の踵を春江のみぞおちに当て、春江はまた吹っ飛んで背中から倒れ、孝太郎はそのまま空中で1回転して着地し、春江に背を向けていたが、すぐに振り向いて構えた。
「ぐっ…な、なんて奴じゃ…がはっ」
春江はくらくらと立ち上がったが、力尽きて崩れるように倒れた。
孝太郎は額と腹を押さえながら春江に歩み寄り、春江が翔にやったときと同じように気付けをした。
「大丈夫とはお世辞にも言えないみたいですね」
「何となく、予感しとった…お主がわしを打ち破るかもしれぬとな…」
「でも、烈火拳(れっかけん)を食らいながら俺の腹に一撃を当てるなんて…」
「ほぉ、あの技は烈火拳というのか…さすがじゃな…」
春江は弱々しく語っていたが、孝太郎は病人扱いしなかった。
「芝居を打っても無駄ですよ。本当はまだ戦えるぐらい元気なんでしょ?」
「ほっほっほ。よく見破ったな」
春江は急に立ち上がり、孝太郎に蹴りを入れたが、孝太郎は後ろに飛びのいてかわした。
「ったく、旋風踵蹴り(せんぷうかかとげり)をまともに食らっても平気でいるなんて…無敵の小林の名は伊達じゃありませんね」
「老人扱いするからじゃ。じゃがの…わしの負けじゃ」
春江がこの一言を言うまで、観客たちは石像になっていたみたいだ。だが、しばらくして歓声が道場に響き渡った。

夜、みんなが寝静まった頃、孝太郎はこっそりと起きだして外に出た。
旅館から少し離れたところで立ち止まり、後ろを向かずに言った。
「二人しかいないんだから、こそこそする必要はないと思うぜ?」
孝太郎はずっと気付いていた。誰かが後をつけていたことを。
「観念して出てきたらどうだ?矢神さん」
沙羅は気まずそうに思いながら孝太郎の前に姿を現した。
「よ、よくわかったわね」
「まぁね」
「それよりどうしたの?一人で外に出て…それにお婆ちゃんに勝ったのに嬉しくないみたいだし」
沙羅は春江が負けを認めたときの孝太郎の少し悲しげな表情を見逃していなかった。
「素直に喜べないんだ。お婆ちゃん、本調子じゃなかったから…」
「どういうこと?」
「翔との戦いのとき、背中に受けた一撃が効いてたみたいなんだ」
「それを知ってたの?」
「あぁ。だから俺も本気を出さなかった」
沙羅は聞かなくても孝太郎が手加減した理由がわかったような気がした。
「もう寝ようよ。明日早いから」
「そうだな…」
二人は旅館に戻り、別々の部屋で寝たはずだが、孝太郎は一人で手洗いに行き、部屋に戻る途中で春江に会った。
「まだ起きとったのか?」
「これから寝るところです」
「そうか…」
「いくら元気でも、無理をしたら駄目ですよ」
「わかっとるわ。じゃが、お主には何の誤魔化しも効かんようじゃな」
春江も孝太郎が本気を出してなかったことに気付いていた。
「あんな体で無理したら、何もできなくなってしまいますよ」
孝太郎はその場に立ったまま目を閉じると、気配が完全になくなった。
「ほう、お主もそれができるのか…それにしても、痛みを全く感じさせん戦い方をするとは…」
「気孔術には色んな使い方があるのです」
孝太郎は掌を当てるとき、手で押さずに気で押しているため、相手は痛みを全く感じないのだった。
「気孔術では、わしよりもお主のほうが上のようじゃの」
「使い方次第です。お婆ちゃんも色々試してみるのがいいんじゃないですか?」
「そうじゃな」
二人は別れ、孝太郎は布団に入った。

「じゃが、感じる者まで和ませてしまうほどのあやつの純粋な心とは裏腹に、背後に揺らめく巨大な影はなんじゃ?」
春江は自分の部屋でお茶を飲みながら呟いた。

3日目。午前中は自由時間ということもあり、みんなそれぞれ色々なことをして昼になり、拳法に関係無しの試合が始まった。
ちなみにルールは個人の勝ち抜きである。
試合が始まり、一人づつ戦い始めた。
その途中で誠司が相手になり、爆裂拳で次々と倒していったが、翔が相手になったとき、孝太郎にやられたときと同じように呆気なく負けてしまった。
「青い龍だけでなく、赤い虎にも負けるとは…一体わいの何があかんのや?」
誠司は心底悔しそうだった。
「試合をするときの目的だ」
横にいた孝太郎が呟くように言った。誠司はそれを聞いて振り向く。
「戦うとき、いつも相手を倒すこととか、勝つこととかに拘ってるんじゃないのか?それを励みにするのはいいけど、あんまり拘り過ぎると、心に焦りが出て技に隙が出る。翔は誰が相手でも勝ち負けに拘らないから心に余裕を持って戦えるんだ」
「心やと?」
「そう。格闘の基本は心・技・体の3つだ。あんたは技と体はいいとしても、心が隙だらけな上に基本の3つがバラバラになってる。今の状態じゃぁ爆裂拳なしでは誰にも勝つことなんてできない」
「確かに…わいはいつも勝つことばっか考えとった。やから英次には一度も勝てんかったってわけか」
誠司はがっくりとしていた。
「心も成長させて、基本の三位を一体化させることができたら、爆裂拳を使わなくても勝てるときがくるだろうな…」
「それ、ほんまにか?」
「やってみろよ。三位を一体化させて、それが極限にまで高まったら言うこと無しだ」
誠司は何かが吹っ切れたように微笑んで頷いた。
そして、孝太郎の番になり、何人か勝ち抜いたが、翔が相手になったとき、攻撃を出し合ってしばらくした頃にお互いにストレートを繰り出そうとしたが、孝太郎は一瞬腹に痛みが走り、少し怯んだ隙が出て翔のストレートが先に孝太郎の胸に当たり、孝太郎は場外に吹っ飛んで負けた。
みんなは驚き、翔は場外で仰向けに倒れている孝太郎に駆け寄って抱き起こした。
「孝太郎!大丈夫か!?」
「心配するな…けど、俺を相手にしても何の躊躇いもなく全力で立ち向かってきてくれて嬉しかったぜ」
孝太郎は苦しそうに胸を押さえながらも笑いながら言った。
「昨日の戦いで受けたダメージが響いてたんだな?」
「気付いてたのか…なのに何の手加減もしなかったのはどうしてだ?」
「お前に対して失礼だと思ったから…それに俺も、自分の力がどこまでお前に通用するか試したかった」
「それでいいんだ。さぁ、次の試合があるぜ。俺のことはいいから頑張って来い」
「…わかった…見ててくれ。俺の戦いを」
翔は微笑み、孝太郎を壁にもたれさせると、場内に戻っていった。
「本当に、強くなったな…翔…」
孝太郎は呟いたが、それは誰にも聞こえなかった。
翔はこの後も何人か勝ち抜き、遂には留美や京子までも打ち破った。そして、優勝は翔になったのである。
だが、翔は少し悲しそうだった。孝太郎があんな状態になっていなかったら、彼が優勝していただろうと思ったからである。
だが、孝太郎は翔の成長ぶりに満足していた。

夕飯を食べて夜になり、孝太郎が手洗いから戻ると、みんなは一つの広い部屋に集まっていた。
「今から何やるの?」
孝太郎は目の前を通りがかった誠司に聞いた。
「この旅館ではいつもやっとる怪談話や」
「怪談話ねぇ…ふっふっふ」
これを聞いて、孝太郎は不適に微笑んだ。
横にいた翔はそれを見てぞっとする。
「日向君、どうしたの?」
翔の横にいた留美が聞く。
「い、いや…俺はホラーが苦手ってわけじゃないんだけど、孝太郎がなぁ…」
「海原君がどうかしたの?」
「孝太郎に怖い話をさせたら、俺が知ってる範囲で右に出る奴はいないんだ」
「そんなに怖いんか?」
「あぁ、あいつは怖くない話でも怖くしてしまうからなぁ…みんな今夜眠れなくなるぞ…」
翔はそう言いながらもみんなと一緒に部屋に入っていった。


<あとがき>
春江との勝負。
最初に翔が相手になり、その次に孝太郎が…。
しかし、孝太郎は全てを見切って手加減する。
そして、春江は孝太郎の背後にある影を見抜き…。
次の日の夜、楽しむ心で恒例の怪談話が…。
孝太郎の不敵な笑みを見てゾッとした翔。
次回、怪談話でとんでもないことに…。
今回はここまでです。
短文ですが、以上です。

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