第10話

「少しづつ砕けていく壁」

しばらくして、孝太郎は目を覚ました。だが、目の前に沙羅の顔があったことに驚いた。
「な!?まさか、膝枕!?」
驚く孝太郎をよそに、沙羅は微笑んでいるだけだった。
「よく寝た?」
「あ、あぁ…ずっと膝枕してたのか?」
体を起こしながら聞くと、沙羅は頷く。だが、孝太郎は沙羅の顔をまともに見れなかった。
「どうしたの?」
「…何でもない…」
孝太郎はそう言ったが、沙羅は何かあると気付いていた。だが、追求しようとはしなかった。
「一つ、聞いてもいい?」
「…内容による」
孝太郎は俯いたまま言った。沙羅は少しむっときたが、気を取り直して聞いた。
「日向君と親友なら、高校も一緒にすればよかったのに、どうして違う学校にしたの?」
「単純さ。俺も本当は東高に行きたかったけど、試験ですべったから西高に行ったんだ」
沙羅は納得し、孝太郎は続きを言った。
「東高は公立だけど、西高は私立なんだ。だから制服がないのかもしれない」
「へぇ…」
それきり二人は何も言わなかった。そこへ英次たちが声をかけてきた。
「もうじきお昼だから一緒に食べようよ」
英次は笑顔だった。
「もう昼か…そろそろ帰らないといけないな」
孝太郎がそう言って立ち上がると、沙羅も立ち上がって言った。
「いいじゃない。食べてから帰っても、夕方には間に合うじゃない」
「そうよ。この東京から真月町まで1時間半ぐらいじゃない。夕方に帰ってもいいぐらいよ」
律子が言った。京子に会うために何度か真月町に行ったことがあるとか…。

そんなこんなでいつの間にか美希も入って近くの喫茶店で食事をすることになった。
英次は以前と同じようにデザートにケーキを2・3個頼んでいた。
孝太郎と美希と律子と仁美は見慣れていたが、沙羅は呆れてしまった。
テーブルは丸く、いすもテーブルを囲むように丸く並んでいた。
「ねぇ、海原君」
孝太郎の横に座っていた沙羅が孝太郎にだけ聞こえるように聞く。
「ん?」
「山下君っていつもああなの?」
「俺も昨日、英次君と一緒に昼飯を食ったけど、矢神さんと同じように呆れてしまったよ」
孝太郎の返事を聞いて沙羅はため息をつく。
だが、孝太郎は背後に不吉な気配を感じた。丁度その時、孝太郎は手にフォークを持っており、それを離さなかった。
「まさか、青い龍がここにいるとはな…」
背後の男はそう言いながら孝太郎の首にナイフを突きつけた。
孝太郎は全く怯えなかったが、沙羅たちは怯えて少しも動けなかった。
「それで俺を脅してるつもりか?」
そう言いながらフォークの向きを変える。幸いなことに後ろの男には気付かれていなかった。
「負け惜しみか?…ぐあ!」
男は孝太郎の首にナイフで切り傷をつけようとしたが、その前に孝太郎が持っていたフォークが腕に刺さったのだった。
その痛みで男はナイフを落とす。その間に孝太郎は立ち上がり、手刀を首の根元に当てて気絶させた。
男は駆けつけた警察に逮捕され、孝太郎たちは気を取り直して食事を再開した。
「ナイフを突きつけられても全く怯えないなんて…」
律子たちは驚くばかりだった。

食事が終わり、その後もみんなで色々話してあっという間に夕方になり、孝太郎と沙羅は帰っていった。
その途中、沙羅は気になって孝太郎に聞いた。
「確か、東高と西高って、公立と私立の違いだけで、レベルは同じぐらいじゃなかった?」
孝太郎は何も言わずに頷く。
「なのに、どうして試験ですべったの?」
「後一問正解すれば合格ってところで寝てしまったんだ。試験の1日前、ほとんど寝てなかったからそれが影響したんだ」
これを聞いて沙羅はクスッと笑ってしまう。

二人は別れ、孝太郎はアパートの自分の部屋に戻ると、翔が入ってきて二人で色々話した。
「そう言えば、東京へ何しに行ったんだ?」
「微笑みの武道家って言われてる山下英次君を知ってるだろ?彼に会いに行ったんだ」
「へぇ、関西の牙じゃないとは思ってたけど、その通りだったか…」
翔は感心しながら言った。が、その後少し暗い表情になって言った。
「実は、関西の牙がお前と入れ違いみたいな感じで俺のところに来たんだ」
「な!?…どうして…」
孝太郎は驚きを隠せなかった。部屋の住所を教えてないはずなのに…だが、英次に手紙を渡すように頼んだことを思い出し、それを見たのだと自分なりに納得した。
「あいつは格闘界ではかなりの情報通らしいんだ。本当はお前を訪ねてきたんだけど、お前は東京に行ってたからな…」
「そっか…悪いことしたな…で、何か聞いたのか?…とか言う前に、その表情からしてただ事じゃないな?」
「あぁ…格闘界の裏の帝王って言われてる奴がいるらしい」
「裏の帝王…それなら俺も知ってる。またの名を暗黒竜(あんこくりゅう)って言うんだろ?」
孝太郎が聞くと、翔は驚きながら頷いた。
「どうしてそこまで!?」
「俺が追ってる奴だからさ。そして何としてでも倒すべき相手なんだ」
孝太郎は途中で憎しみを込めた表情になった。
「事情はわからんが、あまり深追いしないほうがいいぜ?それに憎しみは自分自身を滅ぼすことになるからな…」
「そうだな…」
この後はさっきまでの暗い雰囲気がどこに行ったかを思わせるような明るい内容で話していた。

翌朝、みんな普通に学校に通った。孝太郎は一人でどこかに行ったが、誰も追いかけようとしなかった。
だが、孝太郎が屋上で一人で考え事をしているところに沙羅が声をかけた。
「一人で何してるの?」
「矢神さん…特に何も…」
孝太郎は素っ気無い態度だったが、沙羅は微笑んだまま孝太郎の横に立った。
「ねぇ」
「ん?」
「お互いに知らない仲ってわけじゃないんだから、苗字で呼ばなくてもいいんじゃない?」
「どういう呼び方をするかは本人の自由だと思うけど?」
孝太郎は無表情で景色を見たままだった。
「でも、何か堅苦しくてね」
「俺はそうでもないけど?」
「私がそうなの。だからね…」
「名前の読び捨ては無しだぜ」
沙羅はこれを聞いて抗議した。
「どうして?」
「何でも。俺を訪ねてきたってことは、何か用があるのか?」
孝太郎は堂々巡りにさせないために内容をはぐらかす。
「誤魔化さないでよぉ」
「どうやら用はないみたいだな。ということで…」
孝太郎はそう言って立ち去ろうとしたが、沙羅が腕を掴んで止めた。
「んもう!わかったわよぉ」
「んで?」
「お昼、どうしてるの?食べ終わった後に話がしたくて、海原君のクラスの教室に行くけどいつもいなくて…日向君に聞いたら食べ終わってどこかに行ったって聞くから」
「飯代の節約ってことで、パン1個と牛乳だけだからな」
「ちょっと、それだけで大丈夫なの!?」
沙羅は驚いて孝太郎の前に立って聞いた。
「昼はどういうわけか食欲がわかなくてな…何も食わないよりはいいと思ってね」
「そうだけど、もっと食べないと体がもたないわよ?」
「修行で一週間の間、水を飲む以外何も食わなかった時期もあった。その時に比べたらまだマシだ」
沙羅は呆れた。そこへ考えていたことを持ち出す。
「私、たまに姉さんとお昼の弁当を作ってるの」
「何が言いたい?」
「だからね、海原君のお弁当、私が作ってあげようかと思って…」
「無理はしなくていいぜ。ま、作りたいって言うなら止めないけど」
これを聞いて沙羅はぱっと明るくなる。
「じゃぁ明日から持ってきてあげるね」
「わかった。俺は昼間は雨とかの日以外はここにいるから…」
「了解♪」
沙羅は嬉しそうに戻って行った。孝太郎はなぜあんなことを言ったのかが不思議でならなかった。
「飯代が節約できるのはいいけど、なぜあんなことを…?」
しばらくして教室に戻ってからもこの考えが頭から離れなかったが、授業ではそっちに集中していたので、気がそれることはなかった。
だが、翔は孝太郎にどことなく違和感を感じていた。そして、孝太郎も少しそわそわしている翔に違和感を感じていた。
昼休みになり、孝太郎はパンを食べて牛乳を飲み終わった後、屋上に行こうとしたが、翔が止めて聞いた。
「どうした?いつものお前と何か違うぞ?」
「そういう翔こそ、何そわそわしてるんだ?」
孝太郎の質問に翔は気まずくなった。と、そこへ…
「日向く〜ん♪」
明るく元気のいい声が廊下から聞こえてきた。
「ヤバ!俺はちょっと隠れるから。うまく誤魔化してくれ」
「お、おい…」
孝太郎の止めも聞かず、翔は慌ててどこかに逃げるように走っていった。その入れ違いに留美が入ってきた。
「あれ?日向君?ねぇ海原君、日向君知らない?」
「さぁ…あいつに何か用でもあった?」
「うん。いつもパンで可愛そうだから、私がお弁当作ってあげるって言ったの」
孝太郎はこれを聞いてなるほどねと思った。同時に逃げる必要があるか?と疑問を持ったのも事実だった。
「ま、青島さんが来たってことは伝えておく」
そう言って翔を探している留美をよそに一人で屋上へ向かった。
「待ってたわよ♪」
孝太郎がいつも立っているところに沙羅が包みに入った弁当を二つ持って笑顔で立っていた。
「あれ?明日からじゃなかったっけ?」
「そうだったんだけど、今日の分、作りすぎて余っちゃったから」
「ふ〜ん(最初から狙ってたな?)」
孝太郎は心の中で苦笑し、沙羅に腕を引っ張られて空いているベンチに座った。
沙羅は弁当を包みから取り出して孝太郎に渡す。孝太郎は既にパンと牛乳を腹に押し込んだ後だったが、沙羅の弁当を食べることにした。
「味、どうかな?」
「いいんじゃない?」
孝太郎は無表情で素っ気無い態度だったが、食べているところを見るとまんざらでもないみたいだ。
そうしているうちに食べ終わり、孝太郎は空になった弁当箱を沙羅に返した。
「ごちそうさま」
「ふふ、ありがと。本当はお腹空いてるんじゃないの?」
「かもしれないな…腹がへりすぎると逆に食欲がなくなるって聞いたことがあったっけ」
「あ、それ、私も経験した」
この後は色々と話した。孝太郎は口数が少なく、態度も素っ気無かったが、以前に感じていた一歩引いた態度がなくなっていた。

昼休みが終わり、別々の教室に戻った。
「あ、沙羅ちゃん。海原君どうだった?」
「相変わらずだったけど、一歩引くような態度がなくなったかな」
「いいなぁ…私は日向君を捕まえられないから」
笑顔の沙羅をよそに、留美は落ち込んでいた。

「あ、孝太郎。どこ行ってたんだ?」
教室に入ってきた孝太郎を見つけて翔が聞いた。
「いつもの場所だ。それより翔こそどこ行ってたんだ?」
「あちこちうろついてた。青島さんから逃げるためにな」
聞くところによると、翔は部活中に留美に声をかけられ、昼はどうしてるのかを聞いた。
翔は登校途中で買ったパンを食べていることを話すと、留美が弁当を作ると言い出し、翔は慌てながら断ったが、留美が引かなかった。
「逃げる必要なんてないだろ?青島さん料理得意だし」
「そうじゃないんだ。晩飯で結構世話になってるのに、これ以上迷惑かけるわけにも甘えるわけにもいかないからさ」
留美は孝太郎たちと同じアパートに住んでおり、部屋は翔の真下なのだ。
夕飯になると、たまに留美は孝太郎と翔を呼んで3人で食事をしている。
孝太郎は他にも何かあると思ったが、追求する気はなかった。

そして放課後になり、翔は留美と顔を合わせ辛いのを理由に部活をサボろうとしたが、孝太郎が襟を後ろから掴んで道場に無理矢理連れて行った。
「ち、ちょっと離せよ!」
翔は引っ張られながらも必死になって抵抗したが、孝太郎は気にしていないみたいに言った。
「このまま逃げ続ける気か?今のままじゃぁ学校にもいられなくなるぞ」
「う…」
「だから、会って納得してもらうのが一番だ」
「わ、わかった…」
翔は観念し、大人しく行くことにした。そして、翔が道場に入ろうとすると、出入り口で留美が翔を睨みながら仁王立ちになっていた。
「昼休み、どこ行ってたの?」
留美はドスの入った口調で翔に聞く。翔は怯えながら正直に話し、同時に逃げていた理由も話した。
「そんなの、気にしなくていいのに…」
留美は納得して表情と構えを解いた。
「い、いや…俺の性分っていうのかな?とにかく晩飯だけで十分世話になってるからこれ以上は…」
「まぁ、しょうがないか…んじゃ、いつものように部活をやるとしましょうか」
留美は笑顔で翔の腕を引っ張って中に入っていった。そして、孝太郎も入って拳法着に着替えた。
と、そこへ他の部から殴り込みが入った。それもたった一人で…。
「海原、あの時の屈辱、ここで晴らさせてもらうぜ」
「真木野…どうやら少しは強くなったみたいだな」
孝太郎は出入り口に棍を持って立っている真木野を見ながら言った。
「ふっ。かつてあっさりと敗れた僕はここにはいない。食らえ!」
真木野は勢いよく孝太郎に襲い掛かった。だが、棍を振り回そうとした瞬間、孝太郎はいつの間にか真木野の目の前に来ており、真木野が驚く間も与えずに胸にストレートを当てて壁に吹っ飛ばした。
真木野は板張りの壁にめり込んで気絶。だが、誰も真木野を介護しようとはしなかった。
「ったく、懲りない奴だ」
孝太郎は捨て台詞を吐いてみんなのところに行った。
「ねぇ、日向君」
さっきまでの出来事を唖然とした気持ちで見ていた留美が聞いた。
「ん?」
「海原君って、本気を出したらあんなに強いの?」
「いや、あいつはあれでも自分の力を半分も出してない。あいつが全力を出すとすれば、キレたときぐらいだろうな」
留美は感心していた。
この後、日本拳法部の部員たちも入ってきて、武道大会の話し合いをした。孝太郎は出ないことを決めていたのでみんなの輪から外れた。
そして、色々と話し終わった頃…。
「なぁ、孝太郎」
「ん?どうした、翔?」
翔は少し離れたところに座っている孝太郎に歩み寄って声をかけた。
「久しぶりに手合わせしないか?」
「そう言えば、最近やってなかったな…よし、んじゃするか」
孝太郎が立ち上がると、翔と二人で場内に立つ。みんなはこれから何が起こるのかと、期待と不安が混ざった気持ちで二人を見ていた。
「ルールはどうする?」
「いつものように、時間無制限のノックアウト制でいいだろ?」
孝太郎が聞くと、翔は笑顔で言い、京子が審判をすることになった。
お互いにかなり近い距離にいる。孝太郎は無表情のままだったが、翔は今までにないぐらい真剣な表情で孝太郎を見構えている。
「始め!!」
京子が言った瞬間、孝太郎は右ストレートを出し、翔は孝太郎から見れば左に動いてよけたが孝太郎はこうなることがわかっていたかのように左足で上段蹴りを放つ。
翔はしゃがんで回避し、同時に孝太郎の右足に向けて蹴りを放ったが、その先に孝太郎の右足がなかった。
「な!?…!」
翔は驚きながら上を見ると、孝太郎の右足の踵蹴りが目の前まで来ており、それを両腕のクロスで構えてなんとかガードした。
「ぐっ!」
孝太郎の踵落としをガードした後、左足が地に付いたので翔はそこを狙って足払いを繰り出したが、孝太郎はすぐにバックステップで回避したので当たることはなかった。
「相変わらずな強さだな」
「お前こそ、少しづつだけど強くなってるぜ」
お互いに不適に笑い合い、二人はダッシュで間合いを一気に縮めて同時に必殺技を繰り出そうとしたが、一瞬だけ翔が早く出した。
「食らえ!!孝太郎直伝の必殺技、タイガーサマーソルト!!」
翔は左の膝蹴りで飛び上がり、ある程度上がりきると右足でサマーソルトキックを放った。
孝太郎は驚いたが、何とかガードしてダメージを最小限におさえた。
「やるな…しかもいつの間にサマーソルトキックを完璧に出せるようになった!?」
孝太郎が言うには、翔は今までサマーソルトキックを出そうとして蹴り上げるまではいいものの、途中で動きが止まって背中から地面に落ちてしまうのである。
しかし、今回は見事に最後まで決め、しかもちゃんと足から着地した。孝太郎は驚くばかりでサマーソルトカウンターを放つことができなかった。
「お前が何度も俺の目の前でやってりゃぁコツを掴むのも時間の問題だ」
「なるほど…だけど、なんか嬉しいぜ。今度は俺の番だ!」
孝太郎はそう言ってダッシュで翔との間合いを縮め、手足を使った連続攻撃を繰り出した。翔は当然ながらガードしようとしたが、孝太郎の拳と足首から先の部分が巨大に見えて驚いた。
「我流奥技の一つ、烈火の乱れ舞(れっかのみだれまい)!!」
「ぐっ!!」
翔は何とかガードしていたが、次々と繰り出される攻撃に耐えるのがやっとだった。
そして、孝太郎は最後のとどめの一撃として一歩踏み込んで両方の掌を翔に当てる。翔は場外に吹っ飛び、孝太郎の勝ちで終わった。
ずっと見ていたみんなが驚く。そんな中で孝太郎は翔に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「お世辞にも、大丈夫とは言えないみたいだ」
翔は起きようとしたが、体に力が入らず、孝太郎に手助けしてもらって壁にもたれた。
「まさか、サマーソルトキックをただ見ただけで完璧に出せるようになるなんて…お前の成長振りには驚かされるぜ」
「見ただけじゃないぜ。お前が色々助言してくれたおかげでやっと決まったんだ…だけど、烈火の乱れ舞にはビビったぜ。烈火拳が来るかと思ったら…」
「原理は烈火拳と同じさ。それを足から出せるようになるのは苦労したぜ」
この後、孝太郎は翔の体内に気を送って体力を回復させた。

みんなは思った。孝太郎と対等に戦い合えるのは翔しかいないと…。そして、二人がコンビを組んだらどうなるのかと期待する者もいた。

部活が終わり、みんなは帰ったが、真木野は放置されたままだった。が、夕方を過ぎて目を覚まし、胸の痛みを堪えながら帰り道を歩いていった。
「くっそぉ…一体、あいつの強さの秘密は何だ?…あれで本当に3段しかないのか?」
真木野は痛みが少し引いて喋れるようになったので悔しそうに呟いた。
「俺が強いんじゃない。お前が欲に溺れて弱くなっただけだ」
少し離れたところで孝太郎は真木野の後姿を見ながら独り言を言った。

翌日。孝太郎が教室の窓際でボーっとしていると、沙羅が入ってきた。
「どうした?」
「うん。姉さんがね、これを渡すようにって…」
そう言って差し出された沙羅の手には携帯電話があった。
「俺に渡してどうするつもりだ?」
「何かあったとき、いつでも連絡できるようにってことでね」
沙羅は手を伸ばしたが、孝太郎は受け取ろうとしなかった。
「俺には必要ない」
「どうして?」
孝太郎が首を横に振りながら言うと、沙羅は少し顔をしかめた。
「先生や矢神さんとはいつも学校で会ってるし、アパートにいるときはそっちに電話すればいい。それに矢神さんの家からアパートまで距離はそんなに離れてないだろ?」
孝太郎はもっともらしいことを言って納得させようとしたが、沙羅は引かなかった。
「だめよ。部屋にいなかったら、緊急で伝えたいことがあったときに困るじゃない」
「確かにそうだけど、今まで先生が俺を呼んで、その内容がまともだったことなんてなかったからなぁ…それに会えば必ず俺をからかおうとするし…」
沙羅はため息をついた。だが、諦めることなく、携帯を孝太郎の机の上において去っていった。
「やってくれるね…これなら嫌でも受け取らざるを得なくなる…でも…」
孝太郎は席に戻り、携帯を見ると、電源が入っていたので切り、それ以降は一度も入れることはなかった。

そのまま昼休みになり、孝太郎はどこに行こうかを考えていると、二人分の弁当を持った沙羅がいつの間にか目の前にいた。
「あ…そう言えば、昼飯作ってくれるって言ってたっけ」
「そうよ♪それと、携帯の電源は授業中以外は入れておくこと♪」
沙羅は笑顔で言ったが、孝太郎は俯いて反論した。
「俺には本当に必要ないから…とにかく屋上へいくぞ」
そう言って屋上へ向かおうとする。沙羅は慌てて後をついていった。


<あとがき>
沙羅の全てを包み込もうとする行動は孝太郎の心にできた壁に少しづつひびを入れていく。
弁当を作ると言い出した沙羅に孝太郎は自分のことを教え、そんな自分に戸惑いながらも今の状態を保とうとする。
携帯を渡されたが、孝太郎にとっては必要のないもの。それを理由に…。
次回、学校の近くで悲惨な出来事が起こり、それが生徒たちの耳に入った日の夜…。
そして、事件が解決したとき、孝太郎の身に異変が…。
今回はここまでです。
短文ですが、以上です。

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