第11話


「背後の影と、忌まわしい過去」

孝太郎と沙羅は昨日の昼休みのように空いているベンチに座っていた。
「今日もいい天気ね」
「そうだな…」
沙羅は優しい表情だったが、孝太郎は無表情で俯いていた。
この後もほとんど会話をすることなく、弁当を食べ終わった頃にチャイムが鳴って二人は教室に戻っていった。

5・6限目、科目は中国語セミナーになっており、他のクラスと合同でやるため、他の教室に移動した。
どのクラスとやるかは毎回ランダムで決まるのだが、今日はたまたま孝太郎たちのクラスと沙羅たちのクラスが一緒になった。
孝太郎は気付いたときにため息をつき、教室に入ったときに沙羅と留美が隣同士で座っており、それを後ろから見た孝太郎は気付かれないようにしながら、なるべく離れたところに翔と隣同士で座った。
そして、少ししてチャイムが鳴り、男の教師が入ってきた。
挨拶を済ませ、みんなはテキストを開き、教師は黒板に色々書き、しばらくして生徒に質問をした。
「今から、生徒の名前を中国語で呼びます。呼ばれた人は返事をしてください。そうですねぇ…<日向君>」
教師は呼んだが、翔は気付かなかった。
「翔、お前だ」
横にいた孝太郎が翔の腕をつっつきながら言った。
「あ、はい」
孝太郎に教えられて、翔は慌てながら返事をした。
「今から中国語で質問をします。それに中国語で答えてください」
「は、はぁ…」
翔は自信なさそうに返事を濁した。
「心配するな。俺が翻訳してやる。その代わり、答えは自分でやれよ」
孝太郎は翔にしか聞こえない程度に耳打ちする。これを聞いた翔は少し安心したみたいだった。
<あなたは、部活は何をやってますか?>
教師が言い、孝太郎が翻訳して翔に伝えた。
<はい…空手…部…です>
翔はたどたどしい中国語で答えた。
「最初は誰でもそんなものです。では次は…<海原君>」
<はい>
教師が呼び、孝太郎も中国語で返事をしたことにみんなは少し驚いたみたいだった。
「日向君と同じように中国語で質問します。それに同じように中国語で答えてください」
<はい。わかりました>
孝太郎が難なく中国語を話してしまう姿を見て、孝太郎の中国語のうまさを知らない生徒たちは驚いているみたいだった。
<あなたは、夏休みの間に何をしましたか?>
<はい。北海道から東京まで一人旅をしました>
「よろしい。続けて質問をします。前から気になってたのですが、君は中国語をまるで自分の言葉のように喋りますが、どこかで覚えたのですか?」
<はい、中学1年の夏休みに、拳法を習うために中国に行ったことがありまして、師匠の中国語を聞いているうちに、気が付いたら自分も中国語で喋ってました>
<ほぉ、自然に覚えたのですか…そう言えば、1学期の期末テストに君だけ全部中国語で回答してましたね>
孝太郎は日本語で書いてもいい部分までも中国語で回答していた。教師はそれを見て驚き、同士に嬉しさも感じていた。ちなみに孝太郎は他の科目は人並みだが、中国語セミナーだけが5である。
「では、これから4人一組で輪を作ってください。そして、その中で一人づつ今までの中で印象の残ったことを中国語で話してください」
教師がそう言うと、生徒たちは立ち上がって誰と一緒にやるかを探していた。そんな中で元気な教室全体に響き渡った。
「海原くーん!日向くーん!一緒にやろー!」
留美だった。孝太郎と翔は苦笑し、元気よく手を振っている留美のところへ行った。ちなみに留美の横には沙羅がいた。
「なにもあんなでっかい声で呼ばなくてもいいだろ」
「だってぇ、他の誰かに取られたくなかったんだもん」
翔が呆れながら言うと、留美は駄々こねをするように言った。そんな留美に孝太郎は呆れ、気を取り直して4人で輪を作った。
「印象に残ったことかぁ…何がいいかなぁ?」
「とか言う前に、私達、中国語はほとんど喋れないのに印象がどうこういう前の問題でしょ?」
沙羅は遠くを見るように呟き、留美は少し慌て気味に問題を指摘した。
「だからこそ、俺はともかく、孝太郎に一緒にやろって言ったんだろ?」
翔が聞くと、留美は思い出したように落ち着いた。
「中国人直伝の中国語だから心配することはない。だから、こうしたらどうかな?」
孝太郎は一つの案を出してみんなを納得させた。
他の輪も何とかやっているみたいで、時間はあっという間に過ぎ、教師が頃合を計って止めた。
「そろそろいいですね。では、一人づつ中国語でお願いします」
そして、教師が輪を指して、その中で一人づつ話した。みんな書いた紙を見ながら途切れ途切れに話したり、中には孝太郎には及ばないものの、うまく話したりといろいろいた。そして、孝太郎たちの輪を指され、最初に思い出を語ったのは沙羅だった。
沙羅は中国語とその読み方が書かれた紙を見ながら話していく。それは孝太郎が書いた紙だった。
孝太郎が出した案とは、みんな日本語で思い出を語り、それを孝太郎が中国語に翻訳すると言うものだった。
沙羅が話し終わり、次に留美、そして翔が話し、それが終わると孝太郎の番になった。
<俺の印象に残ったことは、色々な格闘家に会えたことです。その中でも特に、無敵の小林こと小林春江さん、春江さんの愛弟子で空手の達人の青島達夫さん、微笑みの武道家で有名な山下英次君に会えたことが印象に残りました>
<聞きましたよ、君がその3人に勝ったことは、格闘をやってない私の耳にも届きました。何が君をそんなに強くしたのですか?>
<正直、俺にもわかりません。気が付いたらここまで強くなってたってだけです>
孝太郎の返事に教師は少し笑った。
<君らしいですね>

この後は何があったというわけでもなく、あっという間に放課後になった。
孝太郎は沙羅に渡された携帯を手に取ったが、使うことはないと思って机の中にしまって教室を後にした。

夜、沙羅は携帯を手に取って孝太郎にかけたが、電源が入ってなかったために繋がらなかったことにがっかりしていた。
それと同時に、何か変だと思ったのも事実だった。

それから数日後、学校の近くで重傷者がでたらしい。しかも日本刀で切られたような傷が体中にあって、もう少し見つけるのが遅かったら死んでるところだったとか…。
「嫌な事件だなぁ」
「そうだな…」
翔は本当に嫌そうな顔で言ったが、孝太郎は無表情で俯いたまま相槌を打った。
翔はいつもと少し違う孝太郎の態度が気になっていた。孝太郎は事件のことを聞いたときから胸騒ぎのようなものを感じていたのだった。
そして、放課後になり、部活でいつものような手合わせなどをして、みんなは帰り、夜になった。
孝太郎は自分の部屋で一人で色々考えていた。だが、誰かが出入り口をノックした。
「海原君!いる!?」
ノックしていたのは京子だった。だが、何か慌てている様子だった。
「先生、どうしました?」
「沙羅が帰ってこないの!留美ちゃんと食事して帰るって聞いて、さっき留美ちゃんに聞いたら喫茶店で別れたって言ってたから…」
京子は沙羅の帰りがあまりにも遅かったので、携帯に電話してどこにいるのかを聞こうとしたが、電源が入ってないらしく、繋がらないそうだ。
これを聞いて、孝太郎は朝から感じていた胸騒ぎが悪化した。
「俺、ちょっと探してきます」
孝太郎は靴をはいて行こうとすると京子も同行しようとしたが、孝太郎は京子に家にいるように言った。
「もしかしたら今頃家に帰ってるかもしれないですから。そんなときに先生が家にいなかったらヤバいでしょ?」
京子は納得し、孝太郎は走ってどこかへ行った。

そして、孝太郎は胸騒ぎに導かれるように学校へ向かった。その途中、何かで真っ二つに切られた携帯電話らしきものが落ちており、まさかと思った。
学校は門が閉まっているはずだったが、人が一人入れるぐらいの隙間があったので孝太郎はそこから校庭へ行くと、人の足跡らしきものが二つ昇降口に向けて続いていたので、そのまま校内へ入った。
孝太郎は中に入った途端、校内に殺気を感じたために気配を消して忍び足で殺気を感じる方へと歩いていった。
(何だ?事件を聞いたときから感じる嫌な予感は…何か引っかかる)
どうやら殺気は3階から感じるらしく、孝太郎は導かれるようにして3階へ行った。
「へっへっへ。可愛い姉ちゃんだなぁ。ここで血祭りにあげてやるぜ」
廊下の曲がり角から男の不気味な声が聞こえた。
「い、嫌…だ、誰か…」
怯えているのは女性らしく、足がすくんで動けないみたいだった。
「こんな夜中に誰も来やしないさ。大人しくするんだな。へっへっへ」
そう言いながら、持っていた日本刀を振り上げる。
だが、振り下ろそうとしたとき、顔の側面から強い衝撃を受けた。
「ぐあ!」
男は吹っ飛び、同時に日本刀も落とした。
「え!?う、海原君!?」
「矢神さん。やっぱりここだったか…」
殺されかけてたのは沙羅だった。だが、目の前に孝太郎がいることに今でも信じられないみたいだ。
孝太郎は沙羅を立ち上がらせ、手を引っ張って下の階へ逃げていった。

孝太郎は1階へ行こうとせず、2階の教室に入って二人で身を隠した。偶然にも、そこは孝太郎のクラスの教室だった。
「どうして下に行かないの?このまま逃げればいいじゃない」
「俺が入った後にもう一人入ってきて、そいつが昇降口で見張りをしてる。おそらく、俺たちを逃がさないためだろうな」
孝太郎はそう言いながら自分の席の机の中から何かを取り出してポケットに入れた。
「そんな…もう逃げられないの?」
沙羅は震えていた。
「いつまでもあいつらの思うがままになってたまるか。それより、何で矢神さんがここにいるんだ?」
「留美ちゃんと喫茶店で別れて、家に向かって歩いてたときに一人の男の人に声をかけられたの。その後、目を見たら頭がボーっとして…気がついたらここにいたの」
(まさか…それって…)
沙羅がこうなった原因に、孝太郎には心当たりがあった。
「どうするの?逃げ場は塞がれてるし、敵は日本刀を持って…あ、そう言えば…」
沙羅は怯えながら話したが、ふとあることを思い出した。
「どうした?」
「姉さんから聞いたんだけど、校長先生が侍が好きで、校長室に本物の日本刀を飾ってるって聞いたわ」
「そうか…とにかく1階の校長室へ行こう。あいつは丁度この階の手洗いに行ってるし」
二人は足音を立てないようにしながら1階へ行き、校長室の前まで来たが、鍵がかかっていた。
「無理矢理開けるわけにもいかないしな…とにかくどこかに隠れるか…」
孝太郎がそう言ってどこかに行こうとしたが、沙羅はそこから動かなかった。
「何やってるんだ?見つかるぞ」
「大丈夫よ。姉さんから色々聞いてるから」
そう言って校長室の隣にある職員室に入る。なぜか鍵がかかってなかった。
「何じゃそりゃ?」
孝太郎は開いた口が塞がらなくなった。
「ふふ。しかもね…」
沙羅は笑顔で職員室の奥にある扉の前に立った。そこは校長室への入り口だった。
「ここね。いつも開いてるみたいなの」
そう言ってノブを回す。すると扉は開き、二人で中に入った。孝太郎は驚くばかりで声が出なかった。
「確か…あった。名刀の一つ、『正宗』よ」
沙羅はそう言って正宗を孝太郎に渡す。孝太郎は何も言わずに手に取った。丁寧にも、鞘にはベルトが付いていた。
念のために鞘から抜くと、その刃は部屋に差し込む月の光を鋭く反射させた。
「ありがと。後はまかせてくれ」
孝太郎はそう言って正宗を鞘に収め、腰にベルトを巻き、校長室の窓から外に出ようとしたが、沙羅が止めた。
「待って」
「ん?…!」
孝太郎が振り向いた瞬間、沙羅は孝太郎の首の周りに両腕を通し、孝太郎の唇を自分の唇で塞いだ。
しばらくして唇は離れた。沙羅は少し顔を赤くしていたが、暗い部屋の中だったので孝太郎には見えなかった。
「必ず戻ってきて…」
孝太郎はただ頷き、窓から外に出て昇降口で見張りをしている男を後ろから峰打ちで気絶させて校庭の真ん中に立ち、校舎を正面に身構えた。
沙羅は校長室の窓と職員室に繋がる扉を閉めて鍵をかけた。
「あの野郎、どこに行きやがった…ん?へへっ、自分から餌になったか」
沙羅を切ろうとした男はあちこち探していたが、教室の窓から月明かりに照らされている孝太郎を見つけ、駆け足で外に出た。
「やっと見つけたぜぇ、へっへっへ。この刀でお前を血祭りに上げてやる」
男は不気味に笑いながら刀を構える。孝太郎も正宗をゆっくりと鞘から出して武士のように構えた。
「武士気取りもそこまでだ。お前はここで死ぬんだからな」
孝太郎は何も言わなかった。そこへ男が切りかかる。だが、孝太郎は夏目と戦ったときのように勢いよく振り落とされた刀を弾いてその直後にわき腹に当て、人差し指である場所を強く突いた。
「ぐっ!…ば、バカな、催眠術が効かない…」
「やはりそうだったか…矢神さんがここまで連れられて来るときの様子を聞いてピンときたんだ。催眠術で矢神さんの意識をなくし、自分の思うがままに操ってここに連れてきて、意識を取り戻させたことを…」
「知ってたのか…」
「おそらく、昨日の重傷事件もお前がやったんだろ?今回と同じように、催眠術で相手の意識をなくして…」
「そうさ。へへっ、この刀でぶった切ってやったのさ…お前も死ね!」
そう言って催眠術を放って孝太郎に襲い掛かるが、孝太郎はものともせず、いつの間にか後ろに回って背中に峰打ちをあて、男は腹から倒れた。
「残念だが、催眠術は目を閉じてる相手には効果は全くないぜ。それにさっき、秘孔を突いて催眠術を封じてやった。二度と使えないようにな」
これを効いて男ははっとなり、痛みを堪えながら立ち上がった。
「なるほど、ずっと目を閉じていたのか、しかも封じるとは…なら本気でやらせてもらうぜ」
男はそう言って再び襲い掛かる。さっきまでとは違い、振り回すスピードはかなり速かった。
孝太郎は目を閉じたまま相手の攻撃を弾き、隙を突いては峰で打撃を加える。その途中で孝太郎も腕などに傷を負った。
そして、男が突きの攻撃を繰り出したが、孝太郎は横によけた。だが、刀は追いかけるように孝太郎に向かい、孝太郎はそれを弾いて男の胸に峰で打撃を加えた。
男は気絶したが、その直前に隠し持っていたナイフを投げ、それが孝太郎の腹に深く刺さった。
「ぐっ!…っく…」
孝太郎は腹に刺さったナイフを抜いたが、激痛でその場に倒れた。
「そんな…」
沙羅は校長室の窓から飛び出して孝太郎に駆け寄り、出血している部分を手で抑えた。
「こ、これ、で、先生、たち、を…」
孝太郎はそう言いながらポケットに入っている携帯を取り出したが、沙羅が携帯を手にとって京子たちに連絡している最中に孝太郎はぐったりとなって少しも動かなくなった。
「姉さん!?私、今学校の校庭にいるの。それより海原君が重傷を負ったの!」
京子は沙羅の焦る声に戸惑いながらも、学校に翔たちと行く直前に救急車を呼んだ。
沙羅は京子たちが来るのを待ちながら孝太郎を抱き抱え、出血している部分を強く抑えていた。だが、血は止まらず、沙羅の手と孝太郎の服は赤く染まっていった。
「もうじき姉さんたちが来るから!お願いだから死なないで!」
沙羅は涙を流しながら必死な気持ちで孝太郎に声をかけた。
「沙羅!…う、海原君!?」
京子たちが校門から入ってきて、沙羅に抱き抱えられている孝太郎の姿を見て驚いた。
そこへタイミングよく救急車がやってきて、孝太郎は担架に乗せられて病院へ運ばれた。

ちなみに気絶している二人の男は京子が通報して駆けつけた警察に逮捕された。

病院では緊急手術が行われた。同行した翔、留美、沙羅、京子は近くにある長椅子に座っていたが、落ち着きがなかった。
そこへ一人の看護婦が慌てて出てきた。
「すいません。出血多量で輸血をしなければいけないのです。どなたか彼の血液型を知ってる方と、それに一致してる方はいませんか?」
「孝太郎はA型です。残念だが、俺はB型」
翔が悔しそうにしながら言った。
「私、AB型…」
「私と同じね」
留美が言うと、京子が相槌を打った。
「私、A型…だから、私の血を使ってください」
沙羅は看護婦に言った。翔たちは顔を上げ、沙羅の顔を見ると、人一倍強い意志が宿っていた。

その頃、孝太郎は…。
「う、うん?…ここは…真っ暗。しかも何もない…まるで俺の心の中みたいだ。それに、少し寒い…」
「ほぉ、自分の心の中が暗闇だってわかってたのか」
孝太郎は体を起こして立ち上がり、周りを見ながら独り言のように呟くと、同じ声が語りかけた。
「俺と同じ声…」
「そうさ。俺はお前の闇の部分。いわゆる『影』だ…どうやら、お前と入れ替わるときが来たようだな」
孝太郎は頭に?を浮かべると、その直後に腹に激痛が走り、孝太郎は吹っ飛んだ。影が孝太郎の腹に強烈なストレートを当てたからだ。
「ぐっ…いきなり何をする!?」
「何って、お前を倒して俺が表に出てやるのさ。そのために、お前は邪魔な存在なんだよ」
孝太郎は痛みを堪えながら立ち上がる。
「俺自身と言うだけあって、気配がないんだな…ぐっ!」
孝太郎の呟きに、影はおかまいなく孝太郎に攻撃を繰り出す。
「お前のおかげで、俺もここまで強くなれたぜ。さぁ、大人しく死ね!」
この瞬間、孝太郎の中で何かが大きく鼓動を打った。
「大人しく、死ね…だと?」
「へへっ。ついに暴走が始まるのか…2年前に親父を殺したときもそうだったなぁ」
影は孝太郎に異変が起きたのを見て不適に笑う。
「なに?」
正気を取り戻した孝太郎が聞く。
「2年前の3月28日に、西区の神社で死なずにすんだのは、俺が手を貸してやったからなんだぜ」
孝太郎はその時の悲惨な出来事を思い出して頭を抱えた。

2年前の3月28日。大雨が1日中降っていた日。孝太郎は傘を差してバンダナを巻かずに一人で西区の神社にいた。
そして、しばらくして帰ろうとしたとき、20人前後の男に囲まれたのだった。
「これは…!…親父、何の真似だ!?」
周りを見た後、正面を向いたとき、自分の父親の孝俊(たかとし)がいることに驚いた。
「真似も何も、お前は父親の私より強くなろうとしている。そうさせないためにも、お前には消えてもらわなければならない」
孝俊は冷たい口調で言った。
「そんな下らん理由のために、俺を殺すというのか!?」
「私には重要なことだ。さぁ、私の最強の座を保たせるために、大人しく死ね!」
この瞬間、孝太郎の中で何かが大きく鼓動を打った。
「大人しく、死ね…だと?」
孝太郎は傘を手放すと俯いて低い声で言う。だが、孝俊には聞こえなかった。
「さぁお前たち、相手が私の息子だからといって手加減することはない。かかれ!!」
孝俊が勢いよく言うと、周りの男たちが襲いかかる。
そして、孝太郎に最初の一撃が当たろうとしたが、その直前に一人の男が高くアッパーで上げられ、石畳の上に頭から落ちた。
その時の衝撃で男は首の骨を骨折して死亡。孝太郎以外の全員が驚いた。
そうしている間にも孝太郎は次々とあちこちに吹っ飛ばし、あっという間に残りは孝俊だけになった。
「バカな…力はそんなにないはずなのに…」
孝俊は驚いたが、それを隠すかのように孝太郎に襲い掛かろうとした。
だが、それより先に孝太郎が孝俊の間合いに入り込み、手足を使った連続攻撃を繰り出し、最後に腹目掛けてアッパーを放ち、孝俊はそれをまともに食らって血を吐いた。吹っ飛ぶ直前、孝俊は孝太郎の目がうつろになっているのを見逃さなかった。
孝俊が吐いた血が孝太郎の手について、孝太郎ははっとなって正気を取り戻す。だが、傘をどこかに投げ捨てて雨でずぶぬれになっている自分と、周りの状況を見て驚いた。
「これは…!親父!」
孝太郎は賽銭箱の近くでぐったりしている孝俊を見て駆け寄った。
「お前…暴走、した、の、か…」
孝太郎に気付いた孝俊はこれだけを言って息を引き取った。
しばらくの間、孝太郎は大雨に濡れたまま境内の真ん中に立ち、誰かが通報して駆けつけた警察に放心状態でありながらも正直に答えた。
警察は色々調べているうちに孝俊が麻薬中毒になっていたことを知り、孝太郎は殺人を認めたが、正当防衛で無罪になった。

それから2・3日の間は何があったのか覚えてない。気が付いたら孝太郎は家の布団の中で寝ており、大雨に濡れたこともあって風邪を引いていた。

「生きていられることに感謝するんだな。さぁ、その恩返しとして、俺を表に出しな」
影は冷たく言い放つ。孝太郎は立ったまま俯いて何も言わなかった。
「お前が表に出たところで、何が変わるってわけでもないだろ?」
「変わるさ。武術大会の出場を断ったお前に代わって俺が出て、参加者を一人残らず殺してやる」
「殺すだと?」
「俺はお前の闇の部分だって言ったろ?お前自身は気付いてなかったのだろうが、お前が傷を付ける戦いを嫌った分、俺は人殺しがしたくてたまらなくなってな…」
影は不適に笑いながら、孝太郎に攻撃を繰り出そうとしたが、逆に腹に烈火拳を当てられ、アッパーで影は吹っ飛んで仰向けになった。
「く、くそぉ…」
影は体を動かそうと思ったが少しも動かず、そこへ孝太郎が歩み寄って影を見下ろしながら言った。
「俺が嫌ってるようなことばかりを平気で口にするからだ。お前は俺の心の邪悪な部分の集合体。だからお前の動きは、目を閉じて視覚を封じると、逆にはっきりするんだ」
「なかなかやるな。俺を相手に目を閉じるとは…だが、負けるわけにいかん!」
影は立ち上がり、孝太郎に攻撃を繰り出したが、目を閉じたままの孝太郎には一発も当たらなかった。
「くそぉ…これでも食らえ!お前が使うことを恐れていた必殺技の一つ、彗星拳(すいせいけん)!!」
影は手に気を溜め、孝太郎に向けてストレートを繰り出すと、拳の部分が光っており、烈火拳のときよりも数倍大きく見えた。
「これで終わりだ!!…な!?」
影は驚いた。彗星拳は相手だけでなく、近くにいる者たちまでも巻き添えにしてしまう技。しかも食らった相手は外部だけでなく、内部へのダメージが相当なもののはず。だが、孝太郎には当たるどころか、その感覚がない上に拳が体を突きぬけていた。
「そんなバカな…ならもう一度…う、は、離せ!!!」
影は彗星拳をもう一度繰り出そうとして離れようとしたが、孝太郎が影の腕を掴んでいた。力は入れてないはずなのに、少しも動かなかった。
「もうやめようぜ。俺自身が二つに分かれて争っても、本当に何も変わらない」
「俺自身だと!?」
「そうさ。お前も俺も、元は一つだったんだ。だけど、いつからか表と裏が二つに分かれてこうなったんだ」
孝太郎は自分の体に影の拳が突きぬけ、それに触れた状態のままで話を続けた。そうしているうちに孝太郎の体は淡い光に包まれ、光は影も包んだ。
「な、何だこれは!?」
「俺にもわからない。だけど、お前はこの光から感じる暖かさに飢えていたんだろ?」
影は焦っていたが、光から感じる暖かさに安らぎを感じたのか、もう離れようとはせずにじっとしていた。
「な、何だ?今のお前からは憎しみや怒りの感情が感じられない。むしろ俺を受け入れようとしている」
「そうさ。さっき言ったように、俺もお前も元は一つだったんだ。だから、今こそ一つに戻るときじゃないかな?」
「一つに戻る…この暖かさは俺も感じてみたいって思ってた…お前は感じさせてくれるっていうのか?」
「あぁ…一つに戻ったときに好きなだけ感じせてやる。いつになるかはわからないけどな」
影は苦笑し、孝太郎は微笑んでいた。
しばらくして、影は孝太郎の中に溶け込むように入っていき、文字通り、別れていた二人が一つになった。
すると、暗闇が少しづつ明るくなり、何もないのは変わりなかったが、真っ白になった。
孝太郎は気付いていたのだった。自分の背後に揺らめく巨大な影を…。そして、今はその影と一つになったことを…。
「残りは一つだ。だけど、こればかりはどうにもできないだろうな…みっちゃん…」
そう呟くと、孝太郎の意識は遠くなっていった。

一方、病室では、手術は無事に終わり、後は孝太郎が目を覚ますのを待つだけになった。
だが、手術が終わって二週間ほどになっても、孝太郎は目を覚まさなかった。
1日1回は翔たちが必ず様子を見に来ている。だが、何ら変わりない姿を見て絶望するばかりであった。

だが、ある日の真夜中のこと。
「う、うん…ここ、は?」
孝太郎が長い眠りから目を覚ました。だが、目の前に見知らぬ天井があり、腕を見ると点滴がしてあった。
「そうか…生きてるのか…うっ」
静かに呟き、体を起こそうとしたが、腹に痛みが走った。丁度そこへ見回りに来た看護婦が駆け寄ってきた。
「まだ動いちゃ駄目よ」
そう言いながら孝太郎を静かに寝かせる。
「俺、どれぐらい寝てたのですか?」
「もうじき三週間になるわね」
孝太郎は苦笑するばかりであった。闇の中で数分の出来事が現実ではかなりの日数が費やされていたのが理由だろう。
「今は午前3時よ。ゆっくり眠って傷を治しなさい」
看護婦は優しく語りかけ、病室から出て行った。

その日の夕方頃、翔たちが孝太郎を訪ねたが、ベッドにいないのを見て驚いた。
「あいつ、どこに…?」
そんなことを呟いたときだった。
「翔…それにみんな…来てたのか…」
体力を取り戻すためにリハビリをしていた孝太郎が戻ってきた。
「あ、海原君…」
京子が振り向いて呟いた。
「よかった…本当に…」
留美は微笑んでいた。
だが、沙羅は俯いて歩み寄り、孝太郎の目の前まで行ったと思うと、左手で胸倉を掴み、右の平手で頬を思いっきり引っぱたいた。
バカ!!必ず戻ってくるってあの時約束したじゃない!!」
沙羅の怒鳴り声は病室全体どころか、廊下にまで響き渡った。
「本当に悪かったよ。けどさ、あの時は駄目だったけど、今こうして戻ってきただろ?」
孝太郎が頬の痛みを堪えながら言うと、沙羅は涙を流しながら苦笑して思いっきり抱き寄せた。
「ずっと心配だったんだから!私を助けたばかりに死んでしまったら、私はどう責任取ればいいの!?ってずっと考えてたんだから!」
「矢神さんのせいじゃないから。死んだとしても、俺は矢神さんのことを恨んだりはしないから…」
沙羅は膝から崩れ落ちるようにしゃがみ、抱かれたままだった孝太郎も同じようにしゃがみこむ。
「でも嬉しかった。助けに来てくれて…それに命がけで私を守ってくれて…」
しばらくの間、孝太郎は沙羅に抱かれたままだった。

この後、孝太郎はベッドに横になり、みんなで色々と話し、その中で沙羅を殺そうとした男は、数日前に殴りこみに来たチンピラの仲間で、いつの間にか姿を消した男だということがわかった。
そこへ校長が入ってきた。
「大丈夫かね?」
「何とか生きてます」
孝太郎が返事をすると、校長は微笑んだ。
「まぁ、生きていてくれて本当によかった。実は、私の正宗を君にあげようと思ってね」
これを聞いて、みんなは驚いた。
「なぁに、私が持ってるのは正宗だけじゃないんだ。それに、私が持ってても意味がなさそうだからな。君は私の正宗を相手を倒すためじゃなく、守るべき人のために使った。私は探してたのだよ。あの刀を持つのに相応しい人を…」
みんなは校長の話を黙って聞いていた。
「退院したら、私の部屋に来なさい。その時に正宗を君に譲ろう」
「…わかりました。必ず行きます」
校長はこれを聞いて病室から出て行った。
「そう言えば、孝太郎。お前の背後に揺らめいてた巨大な影はどこに行った?」
翔が聞くと、孝太郎は微笑み、京子たちはわけがわからないみたいだった。孝太郎の陰に気付いていたのは、孝太郎自身と春江だけではなかったようだ。
「その影とは、心の中で一つになったんだ」
孝太郎はあっさりと答えた。そして、2年前のことを何一つ隠さずに語った。

「…そんなことが…だから試合の出場を拒否し続けてたのね」
「なんとなく、わかるような気がする」
「私も…」
京子、沙羅、留美は少し暗めの表情で言った。

数日後。孝太郎は退院したが、部活をやるのは止められた。そして、校長室に行ったのだった。
「きっと正宗は、君のような人を待ってたのかもしれない」
校長はそう言いながら正宗を手に取る。
「俺は一度、この手で人を…自分の父親を殺しました。そんな俺に受け取る資格があるのでしょうか?」
孝太郎は俯きながら言い、その後に過去の出来事を話した。

「今の君なら、この正宗を人殺しに使うことはないだろう。そして、守るべき人のために正宗を振り回すだろうと信じてるよ」
校長は全てを理解した上で優しい表情で孝太郎に正宗を差し出す。
「校長先生…わかりました。校長先生の俺を信じる気持ちに応えて見せます」
孝太郎は強い意思を持って差し出された正宗を受け取る。そして、立ち上がって鞘についてたベルトを腰に巻いてみた。
「ほぉ、なかなか様になってるじゃないか」
「今後も戦うことになるとは思いますが、正宗は鞘に納まったままであってほしいです」
「そうだね」
校長が一言言うと、チャイムが鳴ったので孝太郎は教室に戻った。その途中で正宗を見てビビる生徒が何人かいたが、校長が放送で事情を説明したため、それはすぐになくなった。
孝太郎は教室に戻って正宗をバッグにしまった。いつもは鞄だが、今日は正宗を入れるためにバッグで来たのだった。
もともと、正宗を受け取る気でいたのか、それとも拒否する気でいたのか…それは孝太郎しか知らないことである。

この日は何事もなくあっという間に終わった。孝太郎は部屋に入ると、正宗をバッグから取り出して壁に立てた。


<あとがき>
孝太郎が身に着けていた、中国拳法の師匠直伝の中国語。
そして、殺人未遂事件が起こり、それが生徒の耳に入った日の夜に沙羅が巻き込まれ…。
沙羅は殺されかけたところを孝太郎に助けられた。だが、その代わりに孝太郎が瀕死の重傷を負い…。
沙羅は輸血をし、その間、孝太郎は闇の中で自分と向かい合い、ついには影と一つになる。
目が覚めたとき、孝太郎は2年前の過去を話し、京子たちを納得させる。
退院後、校長から渡された正宗。
後に、その正宗は…。
今回はここまでです。
短文ですが、以上です。

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