第15話

「侍とお姫様」

「一人で何してるの?」
「何って…川の流れを見てたんだ」
沙羅の質問に正直に答えると、再び視線を川に戻す。
「ふ〜ん。川の水みたいに、嫌な思い出とかも流すことができたらいいのにね」
言いながら孝太郎の横に立ち、川の流れを見た。
「そうだな。本当にできたらって俺も思う」
「私もね、中学のときに嫌なことがある度に、今の孝太郎君みたいに川の流れを見てたわ」
「嫌なこと?」
聞きながら沙羅の横顔を見ると、思い出したくないことを思い出したような表情だった。
「あの会長よ。私は中学の頃、よく付き纏われて…とにかくしつこくて私は嫌だった。高校は最初は三日月南高校(みかづきみなみこうこう)に行ってたの。でも今年に入ると同時に、兄さんの仕事の都合でこっちに引っ越して…まさか会長にまた会うなんて思わなかった。去年から自分の身を守る術を身に着けるために兄さんの指導の下で日本拳法を始めたけど、会長には勝てない。せめて侍がいたら…」
ここまで話して沙羅は首を横に振って俯いた。
沙羅は自分の身を守ることはできるが、自分より強い力にはまだ対抗できない。自分のことを守ってくれる人が沙羅には必要みたいだと孝太郎は思った。そんなときに、孝太郎には今までもったことがない感情が芽生えた。
「なら、俺が…侍になろうか?」
これを聞いて、沙羅は驚きながら振り向いた。
「俺が…侍になって、沙羅を会長から守ってやるよ。救いを求めてるのに放っておくわけにいかないからな」
「…ありがとう…」
そう言って沙羅は微笑んだ。孝太郎はいつも見てるのに何故かドキッとした。
「今度は、私が孝太郎君のことを聞く番ね」
「俺のことか…何が聞きたい?」
「日向君にも話したことがないこと。つまり、告白されてもそれを断り続けてる理由よ」
これを聞いて孝太郎はうっとなった。今まで翔には自分のことを話したが、恋愛を拒む理由だけは話せなかったのだ。
「やはり、いつかは話すべきだと思ってた…」
そして、孝太郎は小学校時代のことを話し始めた。
「あれは小学校3年の頃。体が弱かった母さんが病気で死んでしまって、完全に塞ぎこんでた頃だった。何もかもする気力を無くして、1日中ぐったりしてるところに、ある日、一人の女の子が俺に声をかけてきたんだ。その頃には4年になってた」
その女の子の名前は日永 未柚(ひなが みゆ)。周りからは“みっちゃん”と呼ばれていた。
最初は何とも思わなかったが、何度も話しかけて孝太郎の気持ちを理解し、孝太郎は少しづつ心を開くようになった。
「後で知ったことだけど、みっちゃんも小学2年のときにお爺ちゃんを亡くしたらしい。だから俺の気持ちを理解するのも難しくなかったみたいだ」
やがて、未柚に恋心を抱くようになり、告白しようとしたら逆に告白されてしまった。
「俺は戸惑いながらも、同じ気持ちだったことを言ったんだ。それからの毎日は楽しかった…けど…」
親の都合で未柚は海外へ転校することになり、二人は夕日が見える橋の上でいつかまた会おうと約束して別れた。
「だけど、みっちゃんが乗った飛行機が事故で落ちて…乗ってた人はみんな死んでしまった」
未柚の父親は先に海外にいたために事故から逃れることができた。だが、父親も孝太郎も抜け殻状態になってしまった。
「俺はカウンセリングを受けて何とか立ち直った。けど、みっちゃんの父親は…会社を辞めてしばらくした頃に自殺してしまったんだ」
そんな中で、“失ったときにこんな辛い想いをするなら、二度と恋なんかしない”って決めた。それ以来、どんなに可愛かったり綺麗な女性に告白されても、孝太郎は首を縦に振らなかった。
「あの時、無理矢理にでも引き止めていれば、今も生きていたかもしれないのにって思うと…」
沙羅は孝太郎の横顔をずっと見ていた。いつの間にか孝太郎の頬は一筋の涙が流れていた。
ゆっくりと孝太郎に歩み寄り、頬にそっと触れて涙を指で拭くと、そのまま抱き寄せた。
「大切な人を失うのはとても辛い事。私も中学のときに両親を亡くしたから孝太郎君の気持ちはわかるわ」
孝太郎は何も言わず、沙羅に抱かれたまま目を閉じた。
「孝太郎君が私だけの侍になるって言うなら、私は孝太郎君だけのお姫様になるわ。そして、心に負った傷を癒してあげる」
そう言いながら孝太郎を両手でそっと暖かく包み込み、髪を優しく撫でた。
何とも言えない暖かさと安心感に包まれた孝太郎は、溢れる涙をこらえずに声を抑えて泣き続けた。

やがて、孝太郎は泣き止んだが、少しも動こうとしなかった。
沙羅も孝太郎の髪を撫でている手以外は動かさなかった。
しばらくして、沙羅は少しだけ体を離し、孝太郎の目にたまっている涙を指でふき取ると、腕を首に回し、顔を近づけて唇を塞いで目を閉じた。
孝太郎はただ驚くばかりで何もできなかったが、落ち着くと沙羅の想いに応えるように目を閉じた。
この後、二人は夕日が沈むまで唇を重ね合わせていた。

二人は別々に別れ、孝太郎は頭が真っ白なままで部屋に入り、寝巻きに着替えて布団に入ると、夕方のことを思い出して顔を真っ赤にした。
だが、首を思いっきり横に振って落ち着くと、あっという間に眠っていった。

一方、沙羅の家でも…。
「ふふふ。沙羅〜♪やってくれるわね〜♪」
帰ってきた沙羅に京子が悪戯っぽい表情で言った。
「な、何のこと?」
沙羅は戸惑いながら聞いた。
「とぼけなくてもいいのよ♪夕方、あの橋の上で海原君とあっつ〜いキスをしてたでしょ♪」
これを聞いて沙羅は顔を真っ赤にした。
「青春ねぇ〜♪あんな車がいっぱい通るところで二人とも♪」
「もう!その癖何とかならないの!?」
「いいじゃない。減るものじゃないし」
「…姉さんのバカ…」
沙羅はすねるように呟いて部屋に行った。
この後は何事もなく、普通にこの日は終わった。

翌日、学校の掲示板には孝太郎が予想したとおり、昨日のことが書かれた新聞が貼ってあった。

「中国拳法の青い龍、日本拳法の達人までも打ち負かす」

これを見て孝太郎はため息をついた。と、その新聞の下に別の新聞があって何やら書かれていた。

「丹河、教員免許を持ってないことがバレて退職処分」

内容を見ると、丹河は4・5年ほど前、学校が荒れてた頃に前の校長がどこからか呼んできており、着任した丹河は無差別に暴力を振るって学校全体を静めた。
それはいいが、静まってからは保健の先生にしつこく言い寄ったり、時にはラブレターを出したりとセクハラまがいな行為をやってたこともあるらしい。
しかも、学校教育法で体罰を加えることはできないと知らずに生徒を木刀で殴る暴力行為も行っていた。
保健の先生は丹河を恐れていつも午前中で帰ってしまってたが、孝太郎が何度も打ち負かしていることを知って、少しでも力になろうと丹河のことを調べたらしい。
そのときに教員免許を持ってないことを知り、これを警察に証拠をもってセクハラの被害ごと暴露した。
これを知って生徒は大喜びした。

朝のHRが始まるまでまだ時間があり、孝太郎は一人で屋上にいた。
「一人で何してるの?」
後ろから声がかけられる。
「沙羅…」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど…」
「何だ?」
「今度の土曜日、何か予定ある?」
「今度の土曜か…久しぶりに英次君たちに会ってこようかと思ってる」
数日前、孝太郎が重傷を負ったとき、そのことを翔が伝えようとしたが、英次たちは地区大会でいなかった。
だが、いつの間にか伝わり、見舞いに行こうとしたらしいが、そのときにはすでに退院していた。
「あの時はずいぶんと心配かけたからな…そのお詫びみたいな感じで会おうと思ってる」
「孝太郎君…」
金網越しに外を見ながら語る孝太郎をよそに、沙羅は少し拗ねていた。が、しばらくして…
「ねぇ」
「ん?」
「交換日記、しない?」
「なんでそんなことを?」
「だって、孝太郎君のこと、ほとんど知らないから」
「知って得するようなことなんて何もないぜ?」
「損得の問題じゃないの。私はただ、孝太郎君のことをもっと知りたいだけ」
「ふ〜ん…」
笑顔で話す沙羅をよそに、孝太郎はずっと無表情だった。
「とにかく、放課後に日記帳を渡すから」
沙羅は孝太郎の返事を待たずに教室に戻っていった。
「交換日記…か…」
孝太郎は呟くと、少し悲しげな表情になった。

それからあっという間に昼になり、孝太郎たちは屋上に4人で用意されたシートに座って弁当を食べた。
適当に雑談をして、いつの間にか食べ終わり、同時に昼休みが終わって教室に戻った。

この後もあっという間に時間が過ぎ、放課後になって孝太郎が教室を出ようとすると、沙羅が声をかけた。
「これ、交換日記。必ず書いてね♪それと、「特になし」だけで終わらせないこと」
沙羅は手に持っていたノートを鞄から取り出し、忠告してから渡した。
「前もって言っておくけど、俺、文才全然ないから。だからページの半分もいかないと思う」
「それでもいいから書いて。渡すときはポストに入れてくれればいいから」
「わかった。俺に渡すときもそうしてくれ」
そう言って孝太郎は日記を受け取り、部活もないので真っ直ぐ帰った。

帰って部屋に入ってから、孝太郎は早速日記に書き込みを始めた。
だが、それは少し悲しげな内容だった。
そんなことを気にしてか、または気にせずにかはわからないが、とにかく書くだけ書いて沙羅の家のポストに入れた。

沙羅は部活を終えて帰り、何気なくポストを見ると、日記帳が入っていた。
それを見て嬉しく思いながら家に入り、部屋に駆け込み、早速日記帳を開いた。
そこに書かれていたのは、小学校時代、未柚と付き合い始めた頃にも同じように交換日記をやっていたが、未柚はいっぱい書いても、孝太郎は1行にも満たない状態で書き終えていたこと。
その当時は少し笑うようになったものの、まだ母親の死のショックから立ち直ってなかった。
それでもちょっとづつ文字数は増えていったものの、あるときから書くのが面倒になって「特になし」としか書かなくなった。
そんなことを何度も続けているうちに日記のやり取りはなくなり、それから少しして未柚が引っ越すことになった。

沙羅はこれを見て、孝太郎の心の傷の大きさを知った。心の闇はなくなっても、傷が癒されてないために力の全てが出ない。
いつかはこの部分を誰かが悪用しかねない。だからなんとしてでも癒してやるべきだと沙羅は思った。
「命を助けられた恩は傷を癒していくことで返していくわよ…孝太郎君…私が絶対に傷を癒してあげるから…」
沙羅は独り言を言いながら両手に握り拳を作って硬く決意した。

翌日。普通に学校が終わって孝太郎が部屋に戻ると、日記帳がポストに入っていた。
内容を見ると、自分の性格や誕生日、そして孝太郎の心の傷を癒すと硬く決意したことなどが書かれていた。
「ただ好きだからって理由でここまでするものなのか?女心ってのはよくわからん」
孝太郎は独り言を言い、適当に書き込んだ。

その翌日。孝太郎は校長に呼ばれて校長室に入った。
「実は君の正宗だが、元は私が持っていて、当然ながら許可も持ってた。で、今は君の手に渡ったが、君が入院している間に持ち主を君に移す手続きもやっておいたから銃刀法違反にはなることはない。だが、条件が出されたんだ」
「条件?」
「そう。“抜けないように何かで固定すること”。これが条件だ。君には刀が使えなくても中国拳法があるから心配はないと思うが、いつかは正宗を使わざるを得ないときがくるかもしれないな」
「でしょうね。例え鞘から抜いたとしても、相手を殺すことがないことを願いたいです」
「そうだな。どうして同じ人間同士なのに仲良くできないのか…国同士の対立を見るたびに愚かなことをすると思わずにいられないよ」
「争い事自体、本当にくだらないです。戦争なんて、無駄に死人を作るだけですから」
「私は若い頃、赤い紙切れ1枚で兵隊にされ、無理やり戦場に駆り出された。友人が目の前で爆弾に当たって死んだのを忘れた頃に夢に見て思い出す。あんな悲劇は私たちの代でたくさんだ」
校長は顔を両手で覆って首を小さく横に振った。孝太郎はその姿を見て、想像もつかないほど辛い思いをしたんだと思った。
朝のHRが始まるチャイムが鳴り、孝太郎は校長室を後にして教室に戻った。

教室に戻る途中、すれ違った生徒から不吉な噂を聞いた。真木野が何としてでも孝太郎を倒すために山篭りの修行を始めたらしい。
いつもならこんなことは気に留めない孝太郎だったが、何やら嫌な予感がしていた。
(何て執念だ…何としてでも俺に勝とうってわけか…それ以上に、この嫌な予感は何だ?まさか、ついに俺の負けが来るというのか…)

昼休み。孝太郎と沙羅はいつものように屋上で弁当を食べていた。
「武道大会のときの英次君は凄かったわ」
「そう言えば、沙羅は3回戦で英次君と対戦したって言ってたっけ。んで、凄かったって?」
「戦う前は自信があったんだけど、いざとなると緊張で震えてしまって…英次君ったらそんな私のわき腹をいきなりくすぐりだすんだもん。でも、そのおかげで緊張が解けて満足に戦えたけどね」
「へぇ…英次君らしいことをするな…」
「そうね。いいところまで行ったんだけど、掌抵波っていう技を使われて負けちゃった」
これを聞いて孝太郎は驚いた。
「な!?」
「でも、不思議と痛みがなかったのよねぇ…」
「そうか…どうやらパワーを抑えたみたいだな」
こんなことを口にした孝太郎だが、英次に言いたいことが出てきた。
「英次君は今度は日向君と対戦して…二人は互角だったわ。最後の最後で英次君の掌から気弾をショットガンみたいに出す連掌弾(れんしょうだん)って言う技で負けてしまったわ」
沙羅は微笑んでいたが、孝太郎は無表情だったものの、内心では呆れていた。

そんなこんなでこの日は終わり、孝太郎は部屋においてある正宗の鯉口にどこかから拾ってきたボロ布を巻いて抜けないようにした。

土曜日になり、孝太郎は重さを60キロにした砂袋を背負って東京に行った。
そして、真っ直ぐ英次が住んでいる律子の家に行こうとしたが、その途中でチンピラに絡まれた。
だが、孝太郎は砂袋を背負ったままでも余裕で撃退。その後、再び歩き出したとき、いつの間にか足元に一匹の猫がいた。
「この猫は…まさか…」
こんなことを呟いたとき…
「おーい、ニャン太〜…あ!」
「やっぱり…英次君、君の猫だったか」
猫を追いかけて駆け寄ってきたのは英次だった。
英次はこの後、孝太郎は重傷を負って3週間ほど意識不明になっていたことですごく不安だったことを話し、孝太郎は申し訳ない気持ちになっていた。
「すまんな。心配かけてしまって…けど、俺はこうして生きてるから」
「うん♪生きててくれてよかった♪」
二人と一匹は同時に歩き出した。
「そう言えば、武道大会で優勝したんだってな」
「うん♪決勝戦では翔さんが相手だった。凄く強かったよぉ。さすが、孝太郎さんが指導してるだけあるね」
「どんな戦い方をしたかは沙羅から聞いた。けど、それを聞いて君に言いたい事があってな…」
「え?」
英次は孝太郎を見たが、そのときの表情は少し怖かった。
「誰を相手にしても楽しむ心を持つのはいいことだ。けど、その戦い方がな…」
「戦い方?」
「そう…俺やあのお婆ちゃんを相手にしてるときならいいけど、翔や沙羅を相手に気孔術を使うのはどうかと思うんだ。使えない相手に対して気孔術を使うのは、9割が自分の勝ちになるようなものだぜ」
これを聞いて英次は表情を曇らせた。
「ま、それほど苦戦したってことかな?達夫さんとは奥技を使っても引き分けたって聞いたし…」
「達夫さんはすごく強かったよ。孝太郎さんが苦戦した理由がやってみてわかったし、すごく楽しかった」
孝太郎は微笑んでいた。
「そういうところは君らしいな」
そのまま歩き出し、いつの間にか英次が通っている学校の体育館に着いた。中には生徒が何人かいる。
そして、中に入ったとき、威勢のいい声が館内に響いた。
青い龍!!生きとったんかあーーー!!!
誠司の怒鳴り声で館内は静まり返った。
「あ、誠司」
英次はのほほんとしていたが…
「あ、この間キンピラをやけ食いしてたチンピラ」
孝太郎が言うと、静寂が笑い声によって破られた。生徒たちは腹を抱えて大笑いしている。
「な、何でそれを知っとんのじゃあーーー?!!!
誠司は驚くと同時に恥ずかしくなって怒鳴り散らした。
「風の噂で聞いたんだ。何を思ったのか、自分で調理したキンピラを丼一杯分やけ食いしてたってな」
「あ、それなら、俺が翔君に電話で教えたんだよ。翔君も大笑いしてたよ」
孝太郎は誰が言ったかを隠し通すつもりで言ったが、英次が白状したのを見て「あちゃ〜」と思った。孝太郎も翔からこのことを聞いたときは笑ってしまったのだ。
この野郎!!余計なこと言いやがってぇ〜!!!ぐえっ!!
誠司は怒りながら英次に殴りかかろうとしたが、いつの間にか後ろにいた美希に絞め技をかけられた。
「今度英ちゃんに手を出したら殺すわよ」
美希のドスの入った声は、地獄で釜茹でにされている白昼夢を見ている誠司には聞こえなかった…。
「お姉ちゃん…あ、そう言えば、孝太郎さん」
美希が誠司を気絶させるのは今回が初めてではないのだが、英次はそれを見るたびに真っ青な顔をしていた。が、気を取り直し、ふと思い出して孝太郎に聞いた。
「ん?」
「風の噂って?風は何も言わないよ?」
これを聞いて英次と誠司以外のみんながずっこけた。
「あ、あのね…誰が噂をしたか特定できないときに、「風の噂」とか「虫の知らせ」って言うんだよ…(意味あってるよな?)」
孝太郎は体を起こしながら説明したが、その後で正確かどうか不安になった。
「ちなみに、キンピラの作り方を教えたのは私よ♪」
美希が笑顔で言った。
「それはそうと、美希さん」
「何?」
孝太郎は呆れながら気になったことがあって美希に聞いた。
「チンピラから、英次君は格闘技と学校の勉強以外のことはあまりに無知だって聞いてたけど、どこまで無知なの?」
「あはは…それには私も心配してるの。どこまでって聞かれるとねぇ…何も知らないって答え方がいいかもしれないわ」
美希は乾いた笑いを浮かべながら言うと、孝太郎はますます呆れてしまった。
「いったいどんな生き方したらそうなるんだよ…その無知な部分を利用されないことを祈るぜ」
「もう手遅れよ…」
「手遅れって?」
「仁美ちゃんのお母さんがねぇ…あるとき、英ちゃんが赤ちゃんがどこから出てくるのか気になって聞いたの。そしたら何て言ったと思う?」
「川井先生だからなぁ…きっと照れて思いっきり出鱈目なこと教えたんだろ?「キャベツ畑から拾ってくる」とかさ…」
「大当たり〜♪」
美希の代わりにいつの間にか孝太郎の後ろにいた律子が言った。
「はぁ〜…とある外人歌手も同じような目に遭わされたっけ…」
孝太郎は呆れてため息をついた。
「とある外人歌手って?」
美希が聞いた。
「テレビで言ってた事だけど、その人が日本にきて間もない頃に、こんにちはって意味を“じゃがいも”って教えた人がいるらしいんだ」
「酷いことするわねぇ」
律子が相槌を打つように言ったが、
「川井先生が言えることですか?」
「う…」
孝太郎が突っ込んで何も言えなくなった。
何気なく英次を見ると、孝太郎を見てそのままだった。
英次は孝太郎の背後に揺らめいてた影がなくなったことに気付き、同時に孝太郎の純粋な心に和まされていたのだった。
(うわぁ…孝太郎さんの心ってあんなに純粋だったんだ…でも、何か大きな傷が見える)
「おい、孝太郎」
聞きなれた声がしたので、入り口を見てみると…。
「翔…いつからここに?」
「館内から笑い声が聞こえてきたときからだ。来るなら俺に一言言ってからにしてくれよなぁ…」
翔はどことなく不満そうな顔をしていた。
「わりぃ。武道大会のときのお前と英次君の戦いぶりを沙羅から聞いて、英次君に言いたいことができてな…」
「言いたいことって?」
「お前は気にしてないみたいだけど、気孔術を使えない相手に対して連掌弾とかを使うのはどうかってな」
「なるほど…でも、俺は本当に気にしてないぜ。結構楽しかったからな」
「そうか…ならいいか。そういえば英次君、風の噂で最大奥技を編み出したって聞いたけど?」
孝太郎が聞くと、英次が笑顔で答えた。
「うん♪けど、使い道がないから最初の一度しか使ってないんだ」
「そうか…なら、それを俺との手合わせで見せてくれないか?」
これを聞いてみんな、特に翔が驚いた。孝太郎が自分から手合わせを頼んだのを見たことがないからだ。
「そうだね。それじゃ、早速やろうか」
英次は笑顔で真ん中に立ち、孝太郎は更衣室で拳法着に着替えて英次と向かい合った。
お互いに至近距離に立っている。律子が審判をすることになり、二人の間に立った。
「両者、構えて」
この合図で二人は構える。沈黙が館内を支配した。
「始め!」
律子はすぐに後ろに下がる。孝太郎より一足先に英次がストレートを繰り出したが、孝太郎はその腕を両手で掴んで背負い投げをした。
だが、英次は流れに逆らわずに自分から動いて足から着地し、孝太郎に向けて蹴りを繰り出したが、孝太郎はバックステップで間を空けて回避した。
(2年前に15歳で無敵の小林に一撃を当てた微笑の武道家と、今年の夏に16歳で無敵の小林を打ち負かした青い龍…こいつはかなり凄い戦いになるな)
翔は二人の戦いを見ながらこんなことを考えていた。


<あとがき>
孝太郎の心の傷と明らかになったみっちゃんの正体。
それを知った沙羅は命を助けられた恩返しに癒そうと動き出す。
そして、交換日記…。
英次に会い、戦い方を指摘し…。
そして、英次が最大奥技を編み出したことを知った孝太郎は手合わせを頼む。
次回、英次の最大奥技が炸裂。それに孝太郎は…。
今回はここまでです。
短文ですが、以上です。

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