第34話

「強大な壁」

「まさか私が行動するより先に調べてたなんて…」
「お前の行動なんてとっくにお見通しだ」
社長室で涼子と幸助が話していた。
「ま、そのうちにあの男の格闘に関する履歴も出来上がる。お前はただ黙って見てるしか出来ない」
幸助は言いながら不適に笑ってたが…。
「そうかしら。彼らは先日、尾行していた3人のうちの一人を捕まえて依頼者を突き止めたし、3人とも解雇したから何日待っても何も来ないわよ」
これを聞いて驚く。
「今までは何もかもあなたの思うがままになってたけど、これからはそうは行かないことを肝に銘じておくのね」
そう言って涼子は部屋から出て行った。
「…今までどおり、思うがままにしてみせるさ。どんな手を使ってでもな…」

「今までは権力に怯えて何もしなかったけど、今度からはそうはいかないわ。あなたの歪んだプライドをなし崩しにしてやるんだから」
涼子はそう呟いて社長室から離れていった。

その頃、孝太郎は沙羅から渡された日記を読んでいた。
そこには、沙羅の孝太郎への想いが詩のような感じで書かれていた。

中学のとき、初めて出会ったときから、私はずっとあなただけを探していた。
あの公園に行けば、その度にあの時の想い出が蘇ってくる。
今日はもしかしたら会えるかもしれない。そう思って何時間も待ってたこともあった。
でも結局会えなくて…何度も諦めそうになった。
だけど、あなたへの想いを信じる気持ちが、私を繋ぎとめてくれていた。
私の心は、雪が積もるように果てしなく埋め尽くされていき、何もかもが満たされていった。
孝太郎君…あなたの側でなら、私は私でいられる。

姉さんを通じて再会したとき、小さな光が見えた気がした。
それを手の平に包み込んだときから、あなたへの想いは強くなっていった。
孝太郎君から告白されたときは、ずっと閉ざされていた扉が開かれたような気がした。
もう一人にはさせないと言って、震える肩を抱いてくれた。
孤独に怯えながら過ごす夜はもう来ないように思えた。
出歩くとき、手を繋いでいる。これからもずっと。
私の側には、いつもあなたがいてくれる。それだけで幸せ。

「沙羅…」
孝太郎は改めて沙羅の想いの強さを知った。
(俺は十分に沙羅の想いに応えられているのだろうか?)
「ん?そういえば…」
どうしようかを考えていたとき、一通のはがきがあったことを思い出し、それを見ると、ライヤからだった。
「へぇ…子供が生まれたんだ…女の子で名前はジュリア…そういえば、仁美さんもあと半年ぐらいで子供生まれるとか…」
仁美が妊娠したことは、いつの間にか耳に入っており、あと半年ほどで出産だという知らせも入った。
「そういえば、また映画に出てほしいって言ってたっけ…」
そんなことを言ってると、ドアをノックする音が聞こえた。
「ん?誰だろ?」
そう言いながらドアを開けると、そこには英次がいた。
「英次君…どうしたんだ?」
「う、うん…ちょっと相談ごとがあって…」
英次の表情は少し沈んでいた。笑顔ではあるものの、どことなく陰りがある。
「とにかく入りな。立ち話もなんだしな」
孝太郎は英次を部屋に入れ、お茶を出した。
「で、相談ごとって?」
「う、うん…じ、実は…仁美が…」
英次はもじもじして言いにくそうだった。
「仁美さんが、何かあったのか?」
英次の様子に変に思いながらも、孝太郎は急かすことなく先を促した。
「そ、そのね…ひ、仁美が…」
「ん?」
「キスを迫ってくるんだよぉ〜!」
英次は顔を真っ赤にしながら言うが、孝太郎はちゃぶ台に頭をぶつけた。
「あ、あのね…夫婦なら普通だろ?」
孝太郎は頭を上げながら言ったが、表情は苦笑いだった。
「う、うん。そうなんだけど、その度に俺、へなへなになって…だから、そうならないようにする方法を教えてほしいんだよ〜」
「別にいいんじゃないの?それだけ英次君は純情なんだし」
「よくないよぉ。キスされる度にへなへなになって、仁美にいいようにされちゃうんだよぉ…」
英次はうるうるしながら言うが、孝太郎は呆れるばかりであった。
「でも、変なんだよ。結婚式のときはそんなことがなかったんだ。どうしてかな?」
「たぶん、いきなりのことで戸惑って、しかも抵抗するからいけないんじゃない?一度、相手の気持ちをあるがままに受け止めてみれば?そうすればへなへなにならずに済むと思うぜ?」
「う、うん。今度試してみるよ」
英次の表情から陰りが消えた。だが、孝太郎の呆れはそのままだった。

その後、英次は帰るということで、孝太郎は庭まで見送った。
「ふぅ…あれでいいのかなぁ?」
「何が?」
孝太郎が独り言のように言うと、横から声がしたので振り向いた。
そこには、後ろ手を組んではにかんだ表情の沙羅がいた。
「いつからそこに?」
「少し前からかな?でも、空気の流れの違いで人がいるかいないかがわかってしまう人の台詞じゃないわよ?」
「普段はそうだけど、ちょっと呆れてたから…」
「呆れてた?」
沙羅が聞き返し、孝太郎は英次に相談された内容を話した。
すると、沙羅は片手で腹を抱え、もう片方の手で口を押さえて、大笑いしたいのを我慢していた。
「英次君の気持ちもわかるけど、さすがに呆れて何も言えないぜ」
「ふふふふふふふ…」
沙羅はまだ笑っていたが、しばらくして治まった。
「そういえば、どうしてここに?俺に何か用でもあったか?」
「う、うん。用ってほどのことじゃないんだけど…“会いたかったから”ってのはだめかな?」
「まぁ、会いに来た理由の一つだからいいかな?」
孝太郎は頬を人差し指で軽く掻きながら言った。
その孝太郎のしぐさを見て、沙羅は孝太郎が照れていると思ってクスッと笑った。
「そういえば、あの調査書、どうした?」
「うん。兄さんも姉さんも見たわ。ほとんどのことは知ってたからそんなに驚かなかったみたい」
「そうか…」
「あとは、孝太郎君に言われたとおりに処分することにしたけど、兄さんが勤めてる会社でシュレッダーにかけてから焼却するって」
「ふ〜ん…そういえば、恭平さんって何の仕事してるんだ?」
「小さな事務所で、経理の仕事をしてるわ」
「恭平さんが、事務職…か…」
孝太郎は空を見ながら呟いた。

この後、二人は歩き出し、色々話しているうちに河原に着いた。
その途中、一体の黒い影が離れたところにいた。が…
「そこで何してる!」
影の後ろから一人の男が声をかけた。
「な!?いつからそこに!?ぐあ!」
影は驚くが、後ろにいた男は影の背を軽く蹴り、その衝撃で孝太郎たちのところへ転がり落ちていった。
「ストーカーがまだいたのね」
「そうだな」
沙羅の呟きに孝太郎が応えた。
「知りながら黙ってるとは、人が悪いな」
「人のこと言えないだろ」
二人を付け回していた影、幸助は体を起こしながら言うが、幸助の背中を蹴った翔が突っ込むように言った。
「あれだけ酷い目にあったのに懲りてないみたいだな」
「私はただ、君たちの格闘の腕前を知りたいだけだ」
翔が凄みを利かせながら言うと、幸助は少し震えながら言った。
「そんなに知りたいなら教えてやる。孝太郎のおかげでどこまで強くなったか、その体で知るんだな」
「私と勝負か…いいだろう」
翔が少し離れたところで幸助と向き合うように言うと、幸助は柔道の構えを取った。
審判として孝太郎が立ち、沙羅はいつの間にか来ていた留美と見ていた。
「では、始め!」
これを皮切りに、幸助がダッシュで掴みかかり、巴投げを繰り出したが、翔は孝太郎がいつもやるときのように流れに身を任せて足から着地した。
「日向君、あの回避技をどこで…?」
「俺が翔に教えてたのは、打撃はもちろんのことだけど、最近は投げ技の回避も教えてたんだ」
沙羅の呟きに孝太郎が応えた。
「最近は私たちの知らないところでチンピラと喧嘩してるみたいだし…」
留美が説明している傍らで、幸助は構えを変えた。
「私も流派は柔道だけではない。こんなこともあろうかと空手を習っていたんだ」
「なるほど。これで卑怯者呼ばわりされることはないわけだ」
幸助は不敵な笑みを浮かべたが、翔は無表情だった。
幸助がダッシュでストレートを繰り出し、翔は間一髪で防いだが、柔道で身に付いた力任せの打撃に翔の腕は少ししびれた。
「っく…」
そこへ幸助は間髪を入れずに蹴りを当てようとしたが、翔は右ストレートを幸助の胸に当てて止めた。
「?」
審判として見ていた孝太郎は翔の攻撃に何か違和感のようなものを感じていた。
「何だこの攻撃は?ちっとも効いてないぞ?」
「動きを止めることが目的だったからな」
幸助の挑発のような口調に、翔は冷静だったが、内心では焦っていた。
(これは気のせいじゃない。何かおかしい。ん?…!)
孝太郎はずっと気になっていたが、ふと何気なく見たものに、違和感の原因を突き止めた。
(今の翔にとっては強大な壁になるな…それをぶち破れるのか!?)
孝太郎の心配をよそに、翔は攻撃を続けた。
「どうした?なぜ右のストレートを使ってこない?」
幸助は聞いたが、翔は何も言わなかった。
そして、ダッシュで肘打ちを繰り出して幸助の胸に当てた。
だが、同時に幸助のボディーブローも翔の腹に当たっていた。
二人はしばらく硬直したが、翔の体がずり落ちた。
「空手と柔道は鍛え方が違うんだ。それがお前の敗因だ」
そう言って翔の腹に蹴りを入れようとしたが、当たる直前に翔は左手で幸助の足を掴み、払い蹴りを繰り出して幸助を転倒させた。
「ぐっ…」
「まだ俺の負けって決まったわけじゃない。伊達に孝太郎と手合わせしてないぜ」
翔はそう言いながら立ち上がってバックステップで間を空ける。
「ふっ。お前のことはみんな調べ上げた。蹴り技のこともな」
「調べ上げたことが全てとは限らないぜ」
お互いに不敵な笑みを浮かべる。翔はダッシュで間を詰めて右足で飛び膝蹴りを繰り出し、幸助はそれを余裕の表情で片腕で防ぎ、翔はおかまいなしに左足をのばして幸助の顔面に当てようとしたが、それももう片方の腕で防がれた。
だが、幸助が翔の左足を掴んで投げ技を当てようとしたとき、右足の蹴りが幸助の顔面に当たった。
「ぐあっ!…がはっ!」
幸助は仰向けに倒れたが、そこへ翔が飛び蹴りの勢いを利用して肘打ちを腹に当てた。
その後、翔は横に転がってから立ち上がって離れた。
「それまで」
孝太郎が言ったことで二人の勝負は終わった。
「な、なぜだ!?私のボディーブローで翔が倒れたときに、それを言わなかった!?」
幸助は苦しみながら立ち上がって孝太郎に聞いた。
「翔が倒れた後、あのまま何もしなかったらあなたの勝ちになってたでしょう。しかし、翔の腹に蹴りを入れようとしたことと、翔が反撃したことからまだ続くと判断して言いませんでした」
孝太郎が説明すると、幸助は膝を付いた。
「柔道の熊もここまでだな」
みんなのところへさも当然のように声をかけたのは…。
「達夫さん…どうしてここへ?」
孝太郎が聞くと、丁度翔の部屋を訪ねようとしたときに留美が出かけるのを見たのだが、様子がおかしく感じたために悪いと思いながらもついてきたそうだ。
「あんたは、かつて私を打ち負かした空手の達人の青島達夫!」
幸助が言うと、みんなは少し驚いた。
「親父を打ち負かした?」
翔が聞くと、達夫は頷いて説明した。
幸助は柔道では負けたことがなく、あまりの強さに北極熊の異名を持つようになった。だが、素行があまりに悪かったために柔道界から追放しようとした矢先、幸助は何の前触れもなく姿を消した。
「それは丁度留美が生まれた年だった。そして孝太郎君…彼は唯一君の父親を打ち負かした男でもあるのだ」
孝太郎は驚いた。
「海原孝俊…中国拳法で最強の称号を持っていた。それを私が奪ってやったんだ。あまりに調子にのるから返り討ちにしてやったんだ」
「そうか…ま、“上には上がある”ってことか…」
幸助は不適に笑いながら言ったが、孝太郎はあっさりと受け流した。
「翔、今回は私の負けだ。だが、次は勝たせてもらうからな」
「そうか…何度かかってこようと、俺は全力で跳ね返してやるぜ」
幸助が捨て台詞のように言いながら去ろうとすると、翔は反論し、留美たちと一緒にその場を去ろうとした。が…
「翔」
孝太郎が止めて、翔は振り向いた。
「何だ?」
「病院へ行くのを忘れるなよ?」
「なに?」
孝太郎が言うと、幸助は立ち止まって振り向いた。
「俺は別に病気じゃないぜ?」
「病気のことじゃない。右手首の捻挫だ。早く治したほうがいいぞ」
これを聞いて、幸助は翔が右のストレートを使わなかったことに納得し、翔は見抜かれてたことに驚き、沙羅たちは孝太郎の見識の鋭さに驚いた。
「わかってたのか…」
「わずかに赤く腫れた手首を見てわかったんだ。けど、よく勝てたな」
「俺にとっては試練の一つだと思ったんだ。だから引くわけに行かなかった」
「そうか…けど、無理はするなよ?下手をすれば空手が出来なくなるかもしれないんだからな」
翔は頷き、みんなはその場を去り、河原には孝太郎と沙羅の二人が残っていた。

二人は何をするわけでもなく、ただじっと立っていた。
ふと、沙羅は何気なく孝太郎のほうを見た。
「背の高さ、私と同じになったね」
これを聞いて孝太郎は振り向いた。
「え?あ、確かに…」
目線が同じだったことで確かなものになる。そこへ、沙羅が歩み寄って孝太郎の両肩にそっと触れた。
「ねぇ…」
「ん?」
沙羅の呟きに孝太郎は不思議に思って聞いた。
「…キスして…」
そう呟きながら目を閉じる。
孝太郎はなぜか焦ることなく、少しづつ顔を近づけてゆっくりと目を閉じながら自分の唇を沙羅の唇に重ねた。

その頃、翔は孝太郎に言われたとおりに病院で診察を受けていた。
診断の結果は軽い捻挫で、しばらくは安静とのこと。

それから数日が過ぎたある日の朝。いつもと何ら変わらない日だったが、少しだけ違っていた。
というのは、沙羅がどことなくそわそわしていたからである。
それだけならいいのだが、意識的に孝太郎から目を逸らしていた。
翔と留美は気になってはいたのだが、聞かないほうがいいと思って聞かなかった。

昼休み。沙羅は孝太郎を呼んで二人で屋上に行った。
屋上で誰もいないことを確認した沙羅は一息ついた。
「その、今朝はごめんね」
「別にいいけど、何かあったのか?」
「う、うん…実は、昨夜の夢の中で…」
沙羅は昨夜見た夢の内容を話し出した。


<あとがき>
幸助と涼子の対立。
日記に書かれていた沙羅の想い。
その後の英次の呆れてしまう相談事。
河原で始まった幸助と翔の対決。
そのあとで達夫がやってきて、明かされた幸助の過去。
翔が捻挫していたことを見抜いた孝太郎。
数日後、沙羅は昨夜の夢が原因で孝太郎を避けていた。
その内容を孝太郎に打ち明けたが、それに対して孝太郎は意外な返事をすることに。
今回はここまでです。
短文ですが、以上です。

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