第9話
「そして、また」
孝太郎はすぐに精密検査を受けた。検査室の外には由梨香がそわそわしながら結果を待っていた。
やがて、一人の医師が出てきて、それを見た由梨香が駆け寄る。
いつの間にか眼鏡をかけている。レンズに少し傷がついているが、支障はほとんどない。
「先生、どうでした?」
「心配ない。ただ気を失っただけだから。でも、後で何が起こるかわからないからしばらく様子を見よう」
由梨香はほっとする。だが、急に思い出して言った。
「そう言えば、3年前にも同じことがありましたね?」
「確かに。あの時もただ気を失っていただけで2日後に目を覚ましたな。その時も担当したのが私だから覚えてるよ。彼の身元も君が証明してくれたんだよね?」
由梨香は頷く。
「はい。今から行ったら学校は遅刻ですが事情を説明すればいいと思います」
「そうだね。君がここに来たことを証明するものが必要だな」
医師はそう言って、証明書を発行し、由梨香に渡した。
「でも、彼の名は出さないほうがいいだろうね」
「そうですね。孝太郎さんはこっちの学校に通ってた頃は有名人でしたから」
その後は色々と話を聞き、由梨香は学校に行った。
そして、2日後…。
「…う…ん?…ここ、は?」
一人の青年が病室のベッドで横になったまま左右を見る。
「お、目を覚ましたね。孝太郎君」
しばらくして入ってきた担当の医師が声をかける。
「先生…3年ぶりですね」
孝太郎が体を起こしながら言った。
「そうだね。まさかあの時と同じ時期に同じ理由でここに運ばれてくるなんてなぁ」
医師は笑いながら言ったが、孝太郎は俯き加減で悲しげな表情だった。
―――本当なら殴りかかってるところだけど、先生は何も知らないからしょうがないか。
「あの日の出来事は俺にとっては笑えないですよ。あいつが死んだ日ですから…」
「あいつ?」
孝太郎は“あいつ”とは誰かを説明した。その途中で自分の意外なことに気がついた。医師はそれを聞いて驚く。
その日の夕方に見舞いに来た由梨香が孝太郎が目を覚ましている姿を見て喜んだ。
医師の話では昨日の夕方頃も来ていたらしい。
「よかったぁ。本当に…」
由梨香は本当に嬉しそうだった。
そして、孝太郎は医師に話したことをそのまま由梨香に話した。
「そうだったのですか…私も何か変だとは思ってました。あの日にどうして孝太郎さんがここにいたのか気になってまして…孝太郎さんしか知らないと思ってたから聞いてみようとしましたけど、都合悪く記憶喪失で…」
「…あいつが死んだのは俺のせいかもしれない。あの時、一緒に行ってれば…」
「孝太郎さんのせいじゃないです。あの時たまたま会っただけですから」
「まぁ、確かに、過去に捕らわれ続けてもしょうがないしな。後で墓参りでも行こうか?」
由梨香は笑顔で頷く。二人は医師に礼を言って墓場へ足を運んだ。
その明くる日の夕方。沙羅は公園に寄り、先日、孝太郎が座っていたベンチに腰を下ろした。
―――孝太郎君…早く帰ってきて。もう限界なの。とてもこれ以上…。
沙羅は必死に願った。だが、そんな願いも簡単に踏みにじられてしまうのだった。
「ここにいたんだね」
男の声がしたが、声色からして孝太郎ではないことを知りながらも顔を上げてみると、
「会長…」
ルックスはかなり男前で野球部のエースでもあり、成績もトップクラスの生徒会長。孝太郎が姿を消してからそれをいいことにしつこく言い寄っていた。
「あいつは1週間ほど休むって置手紙に書いたんだろ?まだ4日目。そんなに都合よく帰ってこないさ」
沙羅は立ち上がって会長を鋭く睨み付けた。
「おっと。恨むんだったらあいつにしな。ここで僕を睨んだって帰ってこない」
会長は平然と言う。
「っく…」
沙羅は両手に握りこぶしを作って怒りを堪えた。
だが、ここで立ち去らなかったのがマズかった。会長は沙羅のか細い両腕をその一回りほど大きな片手で握り、もう片方の手を腰に回して引き寄せた。
「いや!離して!」
沙羅は必死に抵抗するが、敵うはずもなく、会長のなすがままになった。
「だから何度も言ってるだろう?あいつがいない間、僕がその寂しさを感じなくしてやろうって。それに君だって僕の想いに答えてくれてもいいんじゃない?」
会長は自分の唇を沙羅の唇に近づけていく。
「た、助けて…こ、孝太郎君!!」
沙羅の公園中に響くほどの叫び声に会長がたじろいだときだった。トラの鳴き声が聞こえ、横を見ると、ベンチの背もたれの後ろからトラが会長を睨み付けていた。
「な、なんだぁ?」
二人は怯え、会長の腕から力が抜けたとき、トラは勢いよく会長に飛び掛った。会長はそのまま地面にあおむけになり、その上にはトラがのしかかっていた。
「な、何が?…まさか…きゃっ!?」
沙羅が何かを考えているときに突然腰に何かが絡みつき、体が浮いて後ろに引っ張られた。
腰に絡まっていたものが解けると同時に足が地面につき、その正体らしき者が前に出る。
平気でトラに歩み寄り、頭を撫でながら「もういいぜ」と言うと、トラは会長から離れた。
「お、お前は…」
「孝太郎君…」
二人は意外な人物の登場に驚いているようだった。
「いくら生徒会長でも、許せる事と許せない事があるぜ」
孝太郎が言い終わると、沙羅が横に立つ。
「それはお前も同じだ!仮にも生徒会長の僕をこんな目に遇わせたんだ。退学処分の覚悟はできてるんだろうな!?」
会長は立ち上がりながら孝太郎を睨み付けて言った。だが、孝太郎は
「さぁね、むしろ覚悟するのはお前だろ?」と顔色一つ変えずに言う。
「なに?」
「俺がトラを使ってお前に暴力を振るったなんて言ったら、どうなるかわかってるのか?」
「どうなるって言うんだ?」
「沙羅が強制猥褻罪(きょうせいわいせつざい)で訴える。ヤバくなるぜ?その歳で痴漢の前科持ちは」
孝太郎が沙羅を親指で指しながら言うと、会長は一瞬ビクッとなったが、すぐに不適な笑みに変わった。
「どうかな?今から学校に戻って僕の顔についている引っかき傷と背中についている砂を見せれば証拠になる。どう見たって僕は被害者だ。ははは、勝ったな」
勝ち誇っている会長を見て、孝太郎はやれやれという表情になって一息ついた。
「お前、学校でどんな噂を立てられてるか知ってるのか?それに学校で沙羅の言うことを信じない奴、あるいは沙羅の味方をしない奴がいると思ってるのか?」
それを聞いて会長は大口を開けたまま何も言わなくなった。会長はプレイボーイということで学校では悪い意味で有名なのである。実際に孝太郎を暴行罪で訴えたところで、会長のことを知らないわずかな生徒や教師しか信じないだろう。
それに加え、真月動物園から逃げ出した猛獣に襲われ、そこを孝太郎に助けられた生徒が何人かいるのも事実だった。孝太郎が事情を説明すれば、生徒のほとんどは恩返しなどの理由で孝太郎に味方するだろう。
二人は手をつないで会長に背を向けて駆け出した。
トラはしばらくして動物園に帰っていったことを付け加えておこう。
しばらくして走りを止める。そして沙羅が孝太郎の腕に自分の腕を絡ませた。見渡すと住宅街だが、周りには誰もいない。
「ありがとう。まさか本当に助けてくれるなんて思ってなかった」
沙羅の瞳は潤んでいた。よっぽど嬉しかったのだろう。
「ちょっと事情があって、早めに切り上げて帰ってきたんだ。もしかしたらあの公園で待ってるんじゃないかって思って行って見れば…」
孝太郎は沙羅を見上げて微笑みながら言った。だが、先を言おうとしたとき、
chu♪
―――!
数秒の間、沙羅の唇が孝太郎の額に触れた。ちなみにバンダナは今日は巻かれてなかった。
孝太郎は戸惑い、離そうとしたが、首の周りに両腕をがっちり回されていたためにできなかった。
「本当にありがとう。これはそのお礼よ」
しばらくして沙羅は唇を離し、孝太郎の耳元でかすかな声で言った。
二人は微笑むと、家路に向けて歩き出した。沙羅の頬は少し赤かったことを付け加えておこう。
―――何か言わなきゃいけないことがあったような…?まぁいいか…。
「さて、今から孝太郎君の家に帰りますか」
沙羅は笑顔で言ったが、孝太郎が止めた。
「それだけど、今日は未柚の家に帰ったほうがいい。帰ってきたことは明日学校で言うから」
沙羅は納得して二人は途中で別れた。
未柚は笑顔で帰ってきた沙羅を見て何かを感じたが、いずれわかるだろうと思ったのか、特に何も聞かなかった。
<あとがき>
偶然(?)帰ってきた孝太郎。
次の日、その理由が明らかに。
それは次回に書きます。
短文ですが、以上です。