第17話
「二人で共に」
―――な、何だ?体が動かない。それにどこまで落ちていくんだ…?
何もない闇の中、孝太郎は頭からかなりの速さで落ちていく。動こうにも動けない。孝太郎から見て下には眩しく感じない程度の太陽の光が差し込んでいた。
―――何なんだこれは?…!…これは…?
どんどん落ちていく中、後ろから腰の周りに暖かい何かが触れると落下は止まり、頭の位置は正常になった。
「え?…沙羅!?その姿は…!?」
やっと体が動くようになり、首だけ後ろを向くと、優しい表情をした沙羅がいた。しかもその背中には天使のものともいえるような純白の大きな翼があった。
「行こう」
沙羅はそれだけを言うと孝太郎の腰に回していた両腕に少し力を入れ、翼を羽ばたかせて光めがけて飛び上がった。
やがて、光が一面に溢れ、眩しさのあまりに目を腕で覆ったが、しばらくして腕をどけると、そよ風の吹く草原だった。さっきまでの穴はどこにもない。二人は降り立ち、沙羅は孝太郎から体を離して後ろから見守るように微笑んでいる。
「ここは一体…沙羅、俺はどうしてここに…?」
しばらくの間、そよ風を浴びながら辺りを見渡してふと気になった事を口にした。
「あの後、急に倒れて…出血多量で輸血をしようにもA型の血がなくて…私はA型だから、私の血を少しあなたの体に…だから私がこうして一緒にいるのかもしれない。ここは私にもわからない。気がついたら背中に翼があって…色々考えている時に頭から落ちていく孝太郎君の姿を見つけて、とっさのことだったから…」
孝太郎は気絶する直前までのことを思い出した。突然体の力が抜けて倒れたことも。
「そうか…血液検査の結果は出てたのか…でも、自分の血液型だから真っ先に俺が知りたかったぜ」
沙羅はそれを聞いて微笑む。しばらくして孝太郎に歩み寄って優しく両腕で抱きしめ、その上から背中の翼で包み込んだ。孝太郎は戸惑ったが、やがて沙羅の想いに身を任せた。
「今度は私が孝太郎君を守る番。さぁ、もう朝よ。目を覚まして。そして本当の意味で私を安心させて」
沙羅が言い終わって体を離すと、孝太郎の体は浮かび上がった。
「お、おい、これは?」
いきなりのことに孝太郎が戸惑っていたが、沙羅は微笑んでいた。
「また後でね」
沙羅の一言で落ち着いた孝太郎はやがて微笑み、
「あぁ」
そう言いながら頷くと、孝太郎の体は一気に飛び上がり、光に包まれて消えた。
「…う、うん?…ここ、は?」
目が覚めたばかりで視界はぼやけていたが、段々はっきりしてきた。そして最初に見たのが沙羅だった。
「やっと目を覚ましたね」
沙羅は穏やかな口調で微笑みながら言った。あの決闘から二日経ってることを知って驚いたのは言うまでもないだろう。
「沙羅…さっきまでのは…?」
「さっきまで?何のこと?」
孝太郎は一瞬「え?」と思ったが、何も知らないのなら話しても意味がないと思い、特に何も言わなかった。
目を閉じ、大きくため息をついて目を開けると、優しく微笑んだ沙羅の顔が間近にあって驚いた。
「冗談よ。さっきまでのは私にも不思議な体験だった。…守りたかったの。今度は私が孝太郎君を守る番だって思って…」
「そうか…だからこうしていられるってわけか…」
「よかった、本当に…おかえりなさい」
そう言い終わると沙羅は目を閉じてそっと孝太郎の唇に自分の唇を重ねる。
孝太郎はこうなることがわかっていたのか、あまり焦らなかった。
やがて、沙羅の唇が離れる。
しばらくした後、孝太郎は思い出して聞いた。
「そう言えば、あの野郎は?」
「会長も別の部屋で横になってる。下手をすれば内臓破裂だったって。本人はそれを聞いて冷や汗だらだら。可笑しかったわよ」
くすくすと笑う沙羅を見て孝太郎も少し笑う。
「俺の容態は?医師から聞いたんだろ?」
「うん。出血多量はもういいとして、左肩の骨に小さな亀裂があるって事意外は大した事はないって。傷だらけになっておきながらそれだけで済むなんて奇跡としか言いようがないって言ってたわ」
孝太郎は聞き終わってから一息ついて目を閉じる。
「あれからずっと寝てたのにまだ寝るの?」
沙羅は少し呆れ気味になりながら聞いた。
「安心しただけだ。ふわぁ〜ぁぁ」
沙羅は大口を開けて欠伸をする孝太郎を見てクスリと笑った。
翌日の夕方、病院のベッドで退屈そうに横になっている孝太郎にいつものメンバーが見舞いに来た。
「よぉ、退屈そうだな」
瞬の明るい声を聞いて孝太郎は「暇でしょうがないぜ」と愚痴る。
「早く治るといいな。帰ってきたらその瞬間を写真に撮るぞ。覚悟してろよ」
原田が不敵な笑みになって言う。
「海原が侍になった姿を見たのは久しぶりだが、あの時みたいに丸1日寝てるとはな」
五十嵐が言うと、孝太郎は苦笑した。
「孝太郎君があんなに強いなんて知らなかった」
「まさに侍ね」
沙羅が言うと李香が話を合わせる。
「無事でよかった」
未柚が微笑みながら言った。
この後は色々話して沙羅以外みんな帰っていった。
それから何日かして…。
孝太郎の容態はある程度回復し、左肩以外どこにも包帯を巻かなくてもいいぐらいまでなった。後でわかったのだが、亀裂は骨の内部にまで達していた。そのため、入院期間が長引いているのである。
真木野は少し前に退院し、胸を張って学校に戻ったが、その真木野を待っていたのは退院の歓迎ではなく、生徒会からの除名と謹慎処分だった。
しかも五十嵐との関係を掲示板上で公開されたために全校生徒が真木野を軽蔑するようになった。
謹慎処分で別室に移されている真木野はこんなことになってるとは知る由もないだろう。
ある日の夕方、孝太郎と沙羅は病院の屋上にいた。
夕陽が二人を赤く照らし、そよ風が優しく包んでいた。いつの間にか、孝太郎は少し背が伸び、沙羅と同じぐらいになった。“寝る子は育つ”とはまさにこのことだ。
「夕陽を浴びながら二人きりになるなんて、久しぶりね」
「そうだな」
沙羅が学校に行ってるとき意外、ほとんど一緒だったが、屋上で二人きりなったのは入院してから初めてだ。
「…日向さんだっけ?亡くなったお兄さんから頼まれてるんでしょ?」
それを聞いて孝太郎は振り向くと、沙羅の表情は寂しそうだった。
「そのことだけどな…俺が記憶を取り戻して最初の休日に、沙羅が出かけてしばらくした頃に由梨香から電話があったんだ」
沙羅は表情を変えずに孝太郎を見る。この時、沙羅は両親だけでなく、自分が唯一愛する者までも去っていく、すなわち、全てを失うことを覚悟したという。
だが…。
由梨香には彼氏ができ、交際は1年以上続いていることや、自分のことは気にするなと言われたことを聞くと、沙羅の表情は驚きに変わった。その後、二人は顔を合わせずに夕陽を見ていた。
沈黙が続き、しばらくして孝太郎が破った。
「あの事件が起きてから、どうして沙羅のために必死になってる自分がいるのか、ずっと考えてたんだ」
沙羅はそれを聞いて再び孝太郎を見る。
「最近、やっとわかった。俺自身の気持ちが…」
孝太郎もそう言いながら再び沙羅を見る。その表情は今まで見たことがないぐらい優しく微笑んでいた。
「俺も…沙羅のこと…好きだよ。だから侍になってまで守りぬいたんだ」
二人は向き合ってしばらく何も言わなかった。
「嬉しい…やっと言ってくれた」
そう言いながら沙羅は孝太郎に歩み寄り、やがて二つだった影が一つになる。
沙羅は孝太郎の背中に両腕を回して右肩の部分に頭を預けている。
孝太郎はまだ左肩を動かすわけにいかなかったので、腕だけを動かして腰に回し、右手で髪を優しく撫でた。
ふと沙羅は思い出し、やんわりと体を離して、ポケットに入れてたバンダナを孝太郎の額に巻いて髪を整えると、両腕を首の周りに回して目を閉じた。
「ん?」
「ん?じゃないわよ。早く…キスして…」
孝太郎はこれを聞くと、沙羅の頭を一度離した右手で優しく押さえ、目を閉じて沙羅の唇に自分の唇を重ねた。唇が重なり合ってる間、沙羅は嬉しさのあまりに涙を流していた。
この日、二人は恋人同士になった。
それから数日が経ち、孝太郎の左肩は完治したので退院し、その次の日、学校に行った孝太郎を待っていたのは真木野の時とは違い、退院の大歓迎だった。
孝太郎は大げさだとか言ったが、校長たちも歓迎したので何を言っても無駄と思い、歓迎を受け入れた。
そんな中、生徒の一人が真木野を退学処分にしようとしていることを話したが、孝太郎は反対した。
「どうして?」
横にいた沙羅が聞いた。
孝太郎が理由を説明してみんなは納得した。
そしてある日のこと。孝太郎が何気なしに廊下を一人で歩いていると、謹慎中の真木野に会った。
「いい気分だろうなぁ。学校のヒーローってのは」
真木野の口調は嫌味丸出しだった。だが、孝太郎は少しも気にせずに言った。
「お前こそ、沙羅や他の生徒に嫌がらせをして、その反撃を食らった気分はどうだ?」
真木野はうっとなったが、すぐに不敵な笑みに変わった。
「フッ。それも謹慎中の今だけだ。謹慎が解けたら僕は退学処分でこの学校とおさらば。あいつとの婚約も解消だ」
これを聞いて孝太郎は呆れたようにため息を突いた。
「行動パターンが丸見えだな。そう言うと思ってさ、退学処分は俺が取り消させたぜ。だから謹慎が解けてもお前にとっての地獄は卒業するまで終わらない」
これを聞いて真木野は驚く。孝太郎は続きを言った。
「決闘前に俺は言ったはずだ。“これ以上ないって言うぐらい痛い目を見ないとわからない”ってさ。だから思いっきり吊るし上げ食わしてやるんだ。お前と五十嵐の関係も掲示板上で公開されてる。“これで楽になれる”とは思わないことだ」
言い終わって歩き出し、真木野とすれ違ってそのまま歩き去った。真木野はしばらく抜け殻のようになっていた。
数日後、真木野は謹慎処分が解かれ、みんなと同じような学校生活を送れるようになったものの、どこかぎこちなかった。
それもそのはす。全校生徒は真木野を軽蔑し、誘惑の決め台詞にも乗らなくなり、しかも窃盗事件の真相を知ったためにあることないことしゃべる生徒まで出てきたのだった。
―――吊るし上げを食うのも最初だけだ。しばらくすれば普通に溶け込むだろ。
離れたところで様子を見ていた孝太郎はこんなことを考えていた。
それからまた数日が経ったある日のこと。担任の城崎がホタルを探そうと言い出した。
未柚たちの話によれば去年もやったとか…。しかし、その時はあまり見つからなかったそうだ。
そのときの屈辱を晴らそうという城崎の企みはみんなにはすぐにわかった。
しかもそれを今夜やることになった。その時の注意事項を説明した。
その内容は、下のほうで二つ光って動かないものはマムシだから絶対に近づかないこと。
蚊が多いかもしれないから防虫スプレーなどで虫除け対策をしておくことなどだった。
本当は今年はやらないはずだったとか…。おそらく、城崎は孝太郎が何とかしてくれるだろうと考えて計画したのだろう。
だが、孝太郎は猛獣をてなづけたことはあっても、虫は一度もない。どうなるのだろうか。
孝太郎は反対するどころか、どこか懐かしいものを感じるように城崎の話を聞いていた。
<あとがき>
自分の想いを沙羅に伝えた孝太郎。そして恋人同士になった二人。
謹慎処分。その後吊るし上げを食う真木野。
そしてホタル探し。
孝太郎の才能を利用した城崎の作戦はうまく行くのだろうか?
次回、城崎は現地でとんでもないものを見ることに…。
短文ですが、以上です。