第24話
「新たなる時代」
高校を卒業し、その日に結婚した二人は春になって真月動物園で正社員として働いていた。
紛らわしくなるということから夫婦別性である。
孝太郎の評判は相変わらずだったが、沙羅もあっという間に人気者になっていった。
それから1年が経ち、二人が19歳になったある日のこと。沙羅が体の不調を訴えて仕事を休んだ。
「海原、奥さん大丈夫か?」
飼育係の一人が休憩中だった孝太郎に尋ねた。
「ただ食欲がないだけだって言ってたから大した事はないとは思うんだけど、俺も「放っておけないから一緒にいる」って言ったら「心配性」って笑われてな」
「旦那想いだな。羨ましいねぇ」
そんなことを話しているときに孝太郎に沙羅から電話という知らせが届いた。
孝太郎はどうだったか聞こうとして受話器を取った。
「もしもし?体大丈夫か?」
「うん。大丈夫。それに食欲がない原因がね?」
沙羅の声は少し弾んでいるように聞こえた。
「ん?原因が?」
・・・・・・。
「なぁにぃ〜〜〜〜〜?!!!」
孝太郎が大声を出したために周りのみんなが驚いて注目する。
「そういうわけだから、今日は大事を取って家にまっすぐ帰るね」
「あ、ああ…」
電話は切れたが、孝太郎は放心状態だった。
「お、おい、海原?どうしたんだ?」
注目した一人が近寄って聞く。
「さ…沙羅…が…」
「奥さんが、どうしたの?」
別の一人が近寄って聞いた。口調からわかるとは思うが、女性である。
「…に…」
『に?』
周りの全員が声を揃えて聞いた。
「妊娠したんだぁ〜〜〜〜!!!!」
孝太郎が天井に向かって大声で叫ぶと、周りは驚いたが、すぐに歓声に変わった。
孝太郎は胴上げをされ、そこへ園長がやってきてみんなで祝福した。
風の噂で聞いた話によれば、風上瞬・未柚、原田智一・李香という夫婦ができており、孝太郎と沙羅はこれを聞いて呆気にとられていた。
しかも二組とも身ごもっていた。
それから数ヶ月が過ぎ、20歳になった頃、沙羅は男の子を無事に出産。その子は孝仁(たかひと)と名付けられた。
孝太郎と沙羅は「かつて自分たちが経験した辛い思いを絶対にさせない」という強い意志と精一杯の愛情を持って接した。
しかし、それから数年後…。
「ただいま。母さん」
「おかえりなさい。孝仁」
孝仁は17歳になり、西高の2年になっていた。顔立ちや髪型は当時の孝太郎とよく似ているが、瞳は沙羅と同じように水晶のような青い輝きを持っている。
性格は正義感が強く、沙羅や孝太郎に負けないぐらい優しくなったが、ぶっきらぼうなところまで孝太郎を鏡に映したかのように似てしまい、沙羅は少しショックを受けていた。
―――ただいま。父さん。
『おかえり。孝仁』
孝仁の心の中での呼びかけに孝太郎は応えたが、それが孝仁や沙羅に聞こえることはなかった。
なぜなら、孝太郎は孝仁が8歳の時、29歳の若さでこの世を去ったからである。
孝太郎は物心つく少し前に心臓の手術をしており、かろうじて一命を取り留めたものの、長く生きられないだろうと言われた。
沙羅はこのことを孝太郎の父親の孝俊から言われ、孝太郎もいつの間にかこのことを知った。
心臓がかなり弱って寝たきりの生活の中で、二人はお互いにいつかこうなることを知ってて驚いたのは言うまでもないだろう。
孝太郎は「ずっと傍にいる」と言い残し、息を引き取ったそのすぐ後から9年過ぎた今も二人を見守っている。その姿はこの世の人には決して見えることはない。
だが、二人は孝太郎がいつも傍で見ていてくれると信じて疑わなかった。
ちなみに孝太郎が生前に巻いていたバンダナは仏壇に置かれている。
「あれから9年過ぎた今も、俺はいつもここで見てるぜ。だから心配するな」
孝太郎は庭にあるブロック塀の上に立ち、自分の声が届くことがないことを知りながらも二人に語りかけた。
「いい子に育ったな」
そこへ一人の男が声をかける。誰かを知っていながらも振り向くと…。
「翔…」
赤いバンダナを額に巻いた男、日向 翔。中学の時よりもどことなく大人びている。
「結構我慢強いな。今でも見守ってるなんて…」
孝太郎は自分が死んだことを真っ先に翔に会いに行って伝えた。当然ながら翔は驚いたが、あっさりと受け入れ、それから二人は時々会っているのだった。
「別に我慢なんてしてないさ。お前も大切な人がいて、俺と同じような立場になったらきっとできるさ」
孝太郎は言い終わると、俯いてため息をついた。
「こうして見てると、孝仁は大丈夫かもしれないけど、沙羅がかわいそうでしょうがないんだ」
「そうだな…生きてるうちにまたお前に会える日を信じてるんだから…叶わぬ願いだと知りながら」
沙羅は孝太郎が死んでから今に至るまで、いつかまた生きているうちに孝太郎に会える日が来ることを信じていた。孝太郎はそんな沙羅の姿を見るたびに胸を痛めていた。
「できればすぐにでも会いに行きたい。でも、それは絶対に無理だ…」
翔はそれを聞いて孝太郎の肩に手を乗せて言った。
「信じる者は救われるって言うだろ?いつか本当に救われる時が来るさ」
「そうだな」
孝太郎は少しだけ微笑んだ。と、そこに…
チュンチュン。バタバタ…
「え?」
スズメの鳴き声にふと顔を上げると、孝太郎の目の前でスズメが羽ばたいていた。
「まさか、お前…」
孝太郎はそう言いながら自分の右手を差し出す。すると、スズメは孝太郎の右手の指に止まった。
それはまぎれもなく、孝太郎が寝たきりになる少し前に老衰で死んだスズメだった。
「そういえば、お前が死んだのと同じ時期から俺たちの近くで誰かを探しているように飛んでるスズメがいたっけ」
翔がふと思い出したように語る。孝太郎はスズメが乗っている自分の右手を自分の右肩に近づけた。
するとスズメは孝太郎の右肩に乗り、前を向いてじっとしていた。
「じゃ、俺は上に戻るぜ」
「あぁ、俺はずっとここにいるから」
孝太郎が言うと、翔は最初からいなかったかのように姿を消した。
―――前に考えてた通り、孝仁たちの“新たなる時代”がやってくるんだな…。
この考えは当たっていた。
数日後…。
「よぉ矢神。転校してきて数日になるが、生活には慣れたか?ここじゃぁ俺たちの言うことは絶対に聞かなきゃいけないって規則があるんだ。早速言わせてもらうと、金が欲しいんだが、貸してくれねぇか?」
一人のガラの悪い男が孝仁の前に立ち、金を要求した。こんなことは決して珍しいことではないのだが、怖さのあまりに教師ですら手が出せないのである。
孝仁は孝太郎がどんな学生だったかを知るために東高に進んだが、手がかりは何もなかった。そして、2年になると同時に転校した。
「断る」
孝仁はそう言って男の横を通ろうとしたが、肩を掴んで止められた。
「ほぉ、俺様の頼みを断るとはいい度胸してるじゃねぇか。おいお前ら」
男が言うと、孝仁の周りに5人の男がいた。しかもその5人もガラが悪い。
「何だ?遺言状の書き方なら教室で教えてやるぜ?」
孝仁が不敵な笑みを浮かべながら言うと、周りの6人は睨んだ。
「なめやがって!制裁だ!」
「制裁?受刑の間違いだろ?」
孝仁は怯えることなく、それどころか呆れた表情で言った。
6人はそれを聞いて怒りが炸裂。孝仁を無理矢理校庭に連れ出した。他の生徒たちがそれを見ていたが、6人組の怖さに何もできなかった。
連れて行かれる途中で孝仁は少しの抵抗もしなかったことを付け加えておこう。
そして、校庭の真ん中に立たされると同時に襲いかかったが、孝仁はそれらを全て回避していた。
職員室や教室の窓から複数の教師や生徒がそれを見ていた。
「くっ、逃げ足の早い奴だ」
「お前らがトロいだけだ。今度は俺が、制裁の意味を教えると同時に、教師に代わってお前らを裁いてやる」
孝仁が言うと、6人は睨んだが、孝仁は睨み返し、攻撃態勢を取った。
そんな中、一人の教師がある一言を呟いた。
「海原…」
この呟き声は誰にも聞こえることはなかった。
『孝仁のことだから心配ないとは思うけど、一応…』
孝太郎は時々学校にも足を運んでいた。当然、その姿は誰にも見えることはない。
校庭では6人が孝仁に一気に襲いかかったが、孝仁はそれに驚くこともなく、それどころか無心になって一人ずつ倒していった。
「制裁は不正を行ったものを懲らしめること。不正をやりまくってるお前らにこの言葉を使う資格はない」
孝仁は去り際に言ったが、気絶している6人に言っても意味のないことだった…。
「思ったよりつまんねぇ野郎どもだ。父さんの足元にも及ばねぇ。父さんはもっと強かったよ。今の俺よりもな」
―――父さん。俺は今でも追いかけてるぜ。こんな俺でも“侍”になれるよね?
『お前ならなれるさ。守るべき人ができたらな』
孝太郎は聞こえることがないことを知りながらも話しかけた。
孝仁は小学校に入ってから8歳までは孝太郎を師範にして中国拳法を習っていた。その後も孝太郎が紹介した道場で修行し、今に至っている。
孝太郎がこの世を去ってからも孝仁はずっと追いかけていた。その理由は、何気なく沙羅の口から出た“侍”という言葉である。孝仁は“侍”とは何なのかをずっと考えているが、その答えは見つかっていない。
戻る途中で生徒たちが拍手で迎えたことを付け加えておこう。
<あとがき>
この世を去った孝太郎。その孝太郎に負けないぐらいの強さを持っている孝仁。
生きているうちにいつか必ず孝太郎に会えると信じている沙羅。
次回、孝仁には本人すら知らないとんでもない秘密が明らかになる。
その秘密は孝太郎も驚きを隠せないものだった。
それは一体…。
短文ですが、以上です。