第4話
「智也と彩花の意外な過去」
5月3日
この日も朝早くに目がさめた。休日に目覚めがいいのは嬉しいことなのだろうが、今日の智也はそんな気分になれなかった。
着替えて朝飯を食べた後にシャワーを浴び、目的を果たすために外に出た。
最初に寄ったのは花屋である。
智也は彼女が好きだった花を買って目的の場所である交差点に歩を進めた。
そこにはすでに空き缶に一輪の小さな花が刺さっていた。
―――また誰か死んでしまったのだろうか?
そう思いながらその場所にさっき買った花をそっと置く…。
―――誕生日おめでとう。もう二十歳だね…。
立ち上がってその場を去ろうとした。
「あれ、智也?ここで何してるの?」
声がしたのでその方向を見ると、立っていたのは…
「彩花…」
久しぶりに見る私服姿の彩花。その手には花束があった。
「どうしたの?ここに花束を置いて?…この交差点は、確か…」
彩花は何かを思い出したように周りを見ながら言った。
「そう。“死の曲がり角”と呼ばれてる交差点だ」
「どうして、そんな呼び方になったの?」
彩花は何かを少しためらうように理由を聞いた。
「…この交差点では毎年必ず交通事故による死者が出てるんだ。理由は誰にもわからない」
智也は沈みがちな口調で言った。
「そうなの…」
彩花は落ち込んだ表情になった。
「彩花はどうしたんだ?」
「今日は姉の誕生日なの。だから、姉の墓に花を添えに行こうと思って…」
「そうか…(姉?)」
「…智也も一緒に来る?」
「いいのか?」
「うん。一人じゃあそこは怖くて…」
「そうだな。墓場は一人で行くようなところじゃないし。わかった、行こう」
「ありがとう…」
二人で墓地へ歩を進めた。墓地につくまで智也も彩花も無言だった。
・・・・・・。
墓地に入り、彩花の後について歩く。彩花の足が止まり、彩花が墓石に目を向けて智也が彩花の視線の先を追う様に目を向けたときだった。
金縛りにかかったような感覚が智也の全身に走る。
墓石に刻まれた名前は…「霧島小夜美」。
―――まさか…彩花は小夜美さんの…でも…
「姉さん。誕生日おめでとう。今日は一番仲のいい友達を連れてきたわ。紹介するね」
そう言いながら墓石に水をかけ、花を添える。
「…姉さんって、名字が違うぞ?」
智也は戸惑いながらも何とか平静さを保って聞いた。
「うん。私が小学校に入ってそんなに経たず両親が離婚してね、私は母に引き取られたの。でも姉さんとは手紙などのやり取りをしてたわ。だから離婚してなかったら、私は“霧島彩花”だったの」
「そうか…(どうりで似てる部分があるわけだ)」
「その姉さんは去年事故で死んだの。あ、このことは智也には関係ないことだったわね。ごめんね。つい喋っちゃって」
彩花は智也に向いて少し微笑み、再び墓石に視線を戻した。
「…もし、関係あったとしたら…どうする?」
智也は小さくゆっくりとした口調で声を発した。
「え!?」
彩花は驚いた表情で振り向いた。
「それって、どういうこと?」
「いや、ただの独り言だ。気にしないでくれ」
「な〜んか引っかかるなぁ。ま、いいか。智也、そこに立ってないで何か言ってあげて」
「いいのか?」
「うん。私の一番仲のいい友達としてね」
「そうだな…わかった」
彩花が後ろに下がり、智也と入れ替わる。そして、意を決した智也の口から出た言葉は…。
「小夜美さん、久しぶり。…誕生日おめでとう。今年で二十歳だね。さっきもあの場所で言ったか…」
「え!?智也、姉さんを知ってたの!?」
彩花はとても驚いた表情で尋ねた。
「ああ。さっき、“関係あったとしたらどうする?”って聞いたよな?つまり、そういうことなんだ」
彩花は黙って智也の話を聞いた。智也はそのまま続きを話した。
「去年の8月1日…俺は、小夜美さんが運転していた車に乗ってたんだ」
小夜美はいつも智也の前では笑顔を絶やさなかった。
だが、この日、小夜美は近寄りがたい雰囲気を漂わせていて運転も荒れていた。
何か一言でも声をかけなければと思っても何も思いつかず、口を開けば怒ってる理由を聞くことしかできないと思い、智也も小夜美も一言も喋らなかった。
「やがて、さっきの“死の曲がり角”と言われている場所まで行った時、小夜美さんは角を曲がろうとしてハンドルを切ったけど、速度が上がりすぎていて曲がりきれなかった。急ブレーキを踏んだけど間に合わず、車はさっき俺が花を置いた場所に立っている電柱に激突した」
このとき、後ろで彩花の息を呑む音が聞こえたような気がした…。
そして、智也は気がついた時には病院のベッドの上で、頭に包帯を巻いた状態で寝ていた。
「それからしばらくして入ってきた一人の医師が俺に話し掛けてきた。最初医師は言い辛そうだったが、しばらくして意を決したように話し始めた。俺に知らされたのは、“消すことの出来ない額の傷”と、“小夜美さんの死”だった…俺は信じられなかった」
そう言うと、医師は智也を霊安室に案内して、そのベッドに横たわっている人の顔にかぶせられた白い布を取った…。
「小夜美さんは…まるで、子供のように…微笑を浮かべたまま…眠れる森の少女だった…」
智也は何も言わずにただ涙を流していた。数分後に霊安室を離れ、その時にある親子連れとすれ違った。たぶん、それが彩花と彩花の母親だったのだろう。
しばらくして、霊安室から小夜美の名を呼びながら泣き叫ぶ声が聞こえた。智也はその場から走って逃げた。
「今でもそのときの声をはっきりと覚えている。それからしばらくして俺は退院した。でも…」
―――小夜美さんは死んでしまった…。俺はその現実から逃れたかった…。
それからの数日間は覚えてない。9月になると同時に智也は叔父の計らいで学校の誰にも何も言わずに転校した。
それが今通っている澄空学園だ。
「小夜美さんが転校するまで通っていた高校だと知ったのは、それからしばらくした後だった。あの事故現場を通る度に、俺は当時のことをつい昨日のことのように思い出す。毎年必ず死者が出るといわれてるあの交差点で、まさか小夜美さんが死ぬなんて夢にも思わなかった…」
「智也…」
涙声に気付き、彩花を見ると大粒の涙を足元に零した。
智也は立ち上がり、彩花を正面に見て話を続けた。
「俺は彩花や彩花の家族に責められて当然の立場にあるんだ。小夜美さんのことは本当に申し訳ない。信じてくれないならそれでもかまわない…ただ、償いだけでもさせてほしい」
彩花は下を向いたまま、首を大きく横に振った。
「彩花…?」
「智也ー!!!」
彩花は叫ぶように智也の名を呼びながら胸に飛び込んだ。智也は少し後ろによろけたが、なんとか体勢を立て直した。
―――彩花…小夜美さん…。
智也はそのまま動かなかった。
彩花は智也の胸に顔をうずめ、背中に両腕をまわし、大声をあげて泣いていた。
…やがて泣き止み、そのままの体勢で彩花は話し始めた。
小夜美が死んだあの日の前日、小夜美は父親と喧嘩をしたらしい。しかし、二人の喧嘩は今に始まったことではなかった。
彩花が小学校に入った頃から父親は酒に溺れて暴れまわることが多くなった…。
小夜美と彩花は父親を押さえようとはしたが、母親とまだ小さかった二人だけではどうしようもなかった。
「父が暴れる度に姉と私は近所の人達を呼びに行った。そして、戻って来た時に目にしたのはいつも、近所の人たちに取り押さえられてもがいてる父と、そばで力尽きてぐったりとしていた母の姿だった」
「両親が離婚したのはそれからしばらくしてからだった。母は私と姉を引き取ろうとしたけど、父が勝手に家庭裁判にかけて、その結果、姉は父に引き取られることに決まったの」
「私は悔しかった。どうして姉も一緒にしてくれないの?どうして姉と一緒に暮らせないの?と思った…」
離婚後、母親は彩花を一生懸命に母親としてやるべきことをしながら彩花を今日まで育てた。
小夜美とは離れ離れになったが、時々手紙や電話で互いに連絡を取り合っていた。
小夜美からの手紙に決まって書かれていたのは、彩花に会いたいという想いと、再婚しようとしている父親に対する怒りだった。
「姉は一時、父を殺そうとも考えたそうだわ。私が必死になって電話越しに説得したこともあったの」
小夜美は高校に入ると家を出て一人暮らしを始め、これで楽になれると喜んだが、それも長くは続かなかった。
父親が小夜美の下宿先をかぎつけて、勝手に入り込んだ。本人がそれを知ったのは、学校から帰ったときだった。
「姉は何とか父を追い出そうとした。けど、父はそのまま居座りつづけて、結局は4年後、つまり去年の8月1日の亡くなる日まで一緒に住んでた」
小夜美が事故に遭ったことを聞いて駆けつけたとき、頭に包帯を巻いた一人の男とすれ違ったことを思い出した。
それが智也だと知ったとき、転校してきたときに智也の顔に見覚えがあったことに納得したみたいだ。
「父があんなことをしなければ、姉は死なずにすんだのに…。姉の葬儀の日、参列していた父に私は怒りをぶつけた。父は謝るどころか、自分の再婚を反対され続けたことに文句を言ってきた。“再婚に賛成してくれれば小夜美は死なずにすんだんだ!”とも言ってきたわ」
そして、酒を飲み、刃物を持って暴れ出した。他の参列者が取り押さえようとしたが恐怖におののき、見ているしか出来なかった。
そのうちに参列者の一人が、花瓶で父親の頭を殴った…父親はその場に倒れ、動かなくなった。そして死んだ…。
父親の頭を殴った男は通報で駆けつけた警察に自首したが、正当防衛ということで無罪になった。
「その人は私達の家庭事情を知っていて、子供の頃、いつも助けてくれた人なの。すごく優しくて、正義感が強くて…こんな人が父親だったらどんなによかったかと何度も思った」
今年になり、その人の計らいで、彩花は母親と二人でこの町に引っ越してきた。
彩花は顔を離し、背中にまわしていた両腕を解いた。
智也は彩花の真っ赤な瞳にたまっている涙を指で拭くように取ってあげた。
彩花は目を真っ赤にしたまま微笑んだ。
「姉は智也の前では優しいお姉さんだったかもしれないけど、家では結構荒れてたんだよ。でも、姉にとって智也と過ごした時期はすごく幸せだったんじゃないかな?」
「彩花…」
智也の口調は沈んでいた。
「あ、明美!」
突然彩花が何かを発見したような表情と声で元気に手を振る。後ろを向くと明美がいた。
「彩花、やっぱりここだったのね。三上さんもどうしてここに?」
智也は彩花に話したことをそのまま明美に話した。
・・・・・・。
「そうですか、そんなことが…」
「俺は今日まで“小夜美さんが死んだのは自分のせいだ”と思いながら生きてきた。でもさっきの彩花の話を聞いてそれが間違いだと気付いた。少しだけ晴れたような気がする」
「ふふ。いいじゃないですか。過去を引きずるよりも、未来に向かって進んだほうが小夜美さんも喜ぶと思いますよ」
明美はにっこりとした顔で言った。
「明美の言う通りね。私も過去を振り切れてなかったけど、今の一言で踏ん切りがついたわ。明美、ありがとう」
「そうだな。俺も今の一言で前を見る気になったよ。村野さん、本当にありがとう」
明美は照れて顔を赤くして黙り込んでしまった。
智也が腕時計を見ると12時を過ぎていた。
「どうりで腹が減るわけだ。どこかの喫茶店で昼飯にしようぜ」
「それよりも私の家に来ませんか?お昼ご飯なら作りますよ」
まだ、少し顔を赤くしている明美がそう言った。
「ホント!?ありがとう明美!」
「助かった〜胃の中も財布の中も空っぽ寸前だったんだ」
「あはははははは♪」
彩花が腹を抱えて笑い出した。
「じゃ、行こうか?」
「そうね」
「そうしましょう」
―――小夜美さん、また来るぜ。3人でな…
―――わかったわ。ふふ、彩花と明美ちゃんをよろしくね。
「え!?」
智也は驚いた表情をしながら墓石に振り向いた。
「智也?」
「どうしました?」
「あ、いや、何でもない…(確かに聞こえた、小夜美さんの声が…)」
・・・・・・。
墓地を後にした3人は明美の家で昼飯を食べた。
3人とも笑顔だったが、智也は小夜美とのことは少しも語ろうとしなかった。
せっかくの楽しい昼飯時に過去のことは禁句だと思ったのだろう。
それからしばらくして智也は一人で家に帰った。
その途中、2年前のことが少しづつ思い出され、頭の中は孤独と空しさでいっぱいになり、智也は過去のことを完全に振り切れていないことに気がついたのだった。
―――う!…どうしてこんなときに2年前のことが頭に浮かぶんだ!?
智也は頭を抱えて家に向かって走り出した。
―――俺はどうすればいい!?…小夜美さん…
そしてまた、後ろ向きになってしまったのだった。
<あとがき>
ここまで書き上げるのに何度途中の文を消したかわかりません。
昼飯に何を食べていたかは想像にお任せします。
話はまだまだ続きます。
お詫び:小夜美さんのファンの方々へ。
小夜美さんを死人にしてしまってすいません。
短文ですが以上です。