第1話
「思い出、そして…」
俺の名は三上智也。澄空学園の2年生。
親父が単身赴任で地方に住んでいて、母親も向こうでの生活が長くなってる。
兄弟がいない俺は事実上一人暮らしをしている。
ある日の朝、誰もいない居間で朝飯を食べていると、急に昔のことを思い出した。
中学のとき、親の都合で転校になり、そこで知り合った一人の女の子。
陽気で喜怒哀楽をはっきりと顔に出し、席が隣同士だから何度か話すようになり、気が合うのか、一緒にいることが多くなって…気の休まるときがほとんどなかったっけ。
だが、転校して明くる年に俺は帰ることになり、その子とはまた会おうと約束したものの、肝心の住所を聞き忘れていたうえに教えなかったのが災いして、連絡の“れ”の字も取れなかった。
思い出として彼女から貰ったのは、楽譜とオカリナだった。
(あの子はどうしてるかなぁ?…名前忘れた…)
そんな考えを持ちながら朝飯を食べ終わり、学校に行く準備をして玄関の鍵をかけると振り向いて歩き出した。
・・・・・・。
「やっほ〜♪」
そう言いながら笑顔で手を振っていたのは隣に住んでいる幼馴染みの彩花。
「はぁ〜…朝っぱらからよくそんな挨拶ができるなぁ…ふわぁ〜ぁ。ねみぃ」
俺はため息をつき、愚痴を零して欠伸をした。
「そう言う智也もこんな天気のいい朝からよく愚痴れるわねぇ」
俺は気にせずに駅に向けて歩き出す。
「ちょっと、待ちなさいよぉ」
・・・・・・。
そして駅に向かう途中でもう一人の幼馴染みに会う。
「彩ちゃん、智ちゃん、おはよう♪」
「やっほ〜♪唯笑ちゃん」
彩花は俺にやった時と同じ挨拶をする。が、
「はぁ〜ぁぁ」
俺のため息に彩花はへなへなとなった。
「と、智也…朝からそんな気の抜けるようなことはよして…」
そこへ追い討ちをかけるように…
「はぁ〜ぁぁ?随分変な挨拶だねぇ」
唯笑の一言でずるっとなる。
「どこをどう聞けば挨拶になるの…」
別に挨拶したというわけでもないが、唯笑がそう思うのならそれでいいかと思いながら歩く。
駅に着き、電車に乗り、彩花が俺に説教をしていたみたいだが、この時の俺には全く聞こえなかった。
中学のときに離れ離れになった“あの子”のことが気になっていたからだ。
彩花の説教もいつの間にか終わっていた。
色々考えているうちに学校に着き、教室に入る。
窓際の一番後ろにある自分の席に座り、ボ〜っとしていていた。
「智也、おい、智也ってば」
俺を呼ぶ男の声が聞こえる。俺は声がする方向に面倒臭く思いながら向いた。
「ん?何だ、信か…」
そう言いながら向きを正面に戻す。
「何だはないだろ?それよりお前何やってんだ?」
「見て分からないか?…ひるあんどん」
「何だそれ?」
「ボ〜っとしてるってこと」
「古い言葉を知ってるなぁ。それよりさ、今日は転校生が来るんだとさ」
「ふ〜ん…」
俺の反応に信は呆れた表情になった。
「ったく、いつもなら話を合わせて来るのに今日は変だぜ?」
言い終わると信は席に戻った。そして朝のHRが始まった。
「今日は転校生を紹介する」
何気なしに前を見ていると、一人の女の子が出入り口を開けて入ってきた。
その子は席に座っている俺たちを見ながら担任の方へ歩いていく。
しかし、俺と眼が合った瞬間、彼女の表情が驚きに変わり、足が止まった。
(ん?…どうしたんだ?)
「も、もしかして…」
彼女の声に他のみんなはどうしたんだという表情になる。
俺は今朝、突然思い出されて欠けていた部分が彼女の声を聞いて一瞬で埋まった。
「まさか、音羽さん!?」
俺はそう言いながらつい立ち上がってしまう。
当然、みんなは俺に注目する。
「やっぱり、三上君!?」
「な、なんだ?三上、知ってるのか?」
担任は戸惑いながら聞いてきた。
「はい。中学の頃、転校したことがありまして、その時に…」
隣になったのが音羽さんだとは言わなかった。言わなくても想像はつくだろうと思ったからだ。
一通り説明して俺は座った。
「そうだったのか…。まぁ、とにかく自己紹介を頼む」
担任は音羽さんを見ながら言った。
音羽さんは入ってきたときの状態に戻り、みんなを見渡しながら自己紹介をはじめた。
「音羽かおるです。親の都合で突然の転校になりました。まだこの町に来て二日しか経ってません。頑張って慣れていこうと思いますのでよろしくお願いします」
と言ってペコリと頭を下げるとみんなは拍手をした。
「…んじゃぁ、席だが…」
担任がそう言った瞬間、男子生徒全員が彼女を自分の隣にしろと言わんばかりの殺気まじりの視線を送る。
俺は中学のときに隣だったのでもういいと思いながら肘杖をついて窓の外を見ていた。
彩花と唯笑はそんな俺の態度に疑問を持ったのか、二人でぼそぼそと話していた。
しかし、担任は不意打ちをかけるように言った。
「そうだなぁ…三上、知り合いなら丁度いい。お前の隣だ。席も空いてるし、頼んだぞ」
そうか…って、え!?
音羽さんが笑顔で俺のところに歩いて来る。
「またよろしくね♪」
「はぁ〜ぁぁ」
俺は「静かなときが恋しくなるぐらい騒がしい日々がまた来るのか」と思いながらため息をつくと、周りからへなへなという音が聞こえたような気がした。
「相変わらず変な挨拶だねぇ♪」
がたたたたたたたん!!!!ぐわし!!!
「あれ?どうしたの?」
「何やってんだ?みんな」
音羽さんと周りを見ると、生徒(唯笑以外)は全員椅子からずり落ち、担任はひっくり返っていた。
「ま、まぁそういうわけで、以上」
担任は身体を起こし、腰を抑えながら出て行った。
朝のHRが終わり、さっきとは打って変わってクラスの生徒全員が男女を問わずに誰かに引っ張られて教壇の方へ行った音羽さんに駆け寄る。
俺は自分の席で座って肘を突いていた。
「智也(智ちゃん)、どうして黙ってたの?」
彩花と唯笑が抗議の視線と声をかけてくる。
「帰ってくるとき、思い出のほとんどは向こうに置いてきたから。言おうとはしたけど、音羽さんの名前まで忘れてしまってたし…」
とそのままの姿勢で応えると、二人は呆れて何も言えないといった感じの表情になった。
これは本当のことだ。
誕生日に音羽さんからオカリナと楽譜を貰ったこと以外の思い出は帰ってきたときに全て忘れたために話そうにも話せなかったのだ。
帰ってきてからは時々楽譜を見ながらオカリナを吹いていたが、今では見なくても吹ける。
俺はいつも持ち歩いているオカリナをポケットから取り出し、目を閉じて吹き始めた。
吹きながら目を開けると、全員の視線が俺のほうに来ていた。そしてまた目を閉じ、吹き続ける。
すると途中でバック演奏が入り、吹きながら再び目を開けるといつの間にか近くにいた音羽さんがオカリナを吹いていた。
そしてそのまま吹き続け、終わったときには拍手を一斉に浴びた。
「覚えててくれたんだ」
音羽さんが瞳を潤ませながら言った。
「時々、屋上とかで吹いてたんだ。今はこのとおり、楽譜を見なくてもできるぜ」
と言いながらオカリナをポケットにしまった。
「ありがとう。…ずっと、会いたかった」
そう言い終わると、間を入れずに抱きついてきた。
「うわっぷ!…お、おい、みんな見てるぞ」
音羽さんに遮られて周りは見えなかったが、殺気を感じたので何となくわかった。
この後、クラス全員を敵にしたような雰囲気がしばらく続いたが、音羽さんの協力でなんとか静まった。
だが、本当に辛い日々はこれからだった。そしてあんな展開になるとは誰も予想もしなかった…。
ある日の朝、信が“文化祭の出し物にバンドをやらないか?”と持ちかけてきたのがことの始まりだった。
俺を誘う前に決まっていたメンバーは彩花、唯笑、音羽さん、音羽さんが転校してくる1ヶ月ほど前に外国から帰ってきて、最初は近寄りがたい雰囲気を漂わせていたが、彩花たちのおかげで明るくなった双海詩音さん、そして彩花の従姉妹の伊吹みなもちゃんだった。
あまり乗り気じゃなかった俺はその場で断った。だが、信はしつこく言い寄り、そこへ彩花たちが迫ってきたので仕方なくOKした。
それからの放課後は毎日練習になった。振り分けは信は作曲&指揮、彩花はヴォーカル、双海さんはバイオリン。音羽さんはドラム。みなもちゃんはピアノ。唯笑はキーボード。俺はギターになった。
やり始めて最初の頃は多少楽しさも感じられてそれなりにやっていた。
だが、しばらく練習していくうちに信は苛立ちを見せるようになった。その原因は…。
「おい智也!もっとちゃんとやれよ!音程はあってても何も感じないぞ!」
「そんなこと言ったって…」
そう、俺は言われたとおりにギターを弾くだけでそれ以外のことは何もやってなかった。
「そんなこともこんなこともあるか!だいたいお前やる気あるのか!?ないなら帰れ!」
「なぁんだ、いつやめてもよかったんだ。じゃぁ帰るぜ」
そう言って俺はギターを壁に立てて近くに置いてあった鞄を手に取り、そのまま学校を後にした。
その日以降、俺は練習に顔を出さなくなった。それどころか、バンドメンバーとは一言も言葉を交わすことがなくなった。
登下校、昼飯時はいつも俺一人、たまに俺の家で彩花と唯笑の3人で晩飯を食べることもあったが、最近はそれもなくなった。そんな孤独な日々が続いたが、ある日のこと…。
俺はいつもどおりの学校生活を終えて校舎を出た。
だが、真っ直ぐ帰る気になれず、公園に寄ってベンチに座り、何気なしにしばらく吹いてなかったオカリナをポケットから取り出し、目を閉じて懐かしく思いながら吹き始めた。
中学の頃、音羽さんと二人で演奏して、帰ってきてからも何度か吹いていて、再会してからも屋上で時々吹いていた曲。その音羽さんも今は隣にいない。それだけでとてつもない物足りなさを感じるなんて…。
そんな気持ちに浸りながらオカリナを吹き終える。目を開けると周りには人だかりができ、しかもみんな俺を見ている。
俺はいたたまれなくなってオカリナをポケットにしまい、鞄を手に取って立ち去ろうとした。
ぐいっ!
「な、何だ!?」
突然腕を後ろに引っ張られ、振り向くとそこには…
「もうやめちゃうの?」
彼女は悲しそうな表情をしていた。
「お、音羽さん!?」
時計を見ると、彩花たちはバンドの練習をしている時間帯だ。それなのにそのメンバーの一人である音羽さんがどうしてここに?
「何だか練習に身が入らなかったから一言言ってから抜け出してあちこち歩いてたの。そしたらオカリナの音と人だかりができてるからまさかと思って来てみたら…」
俺は何も言わなかった。あの陽気な音羽さんでもこうなることがあるんだと思った。
「もう一度やろう?二人で」
音羽さんはいつもの表情に戻ったが、俺はそのままの体制から動くことができなかった。
すると、周りにいた人たちが次から次へと「アンコール!アンコール!」と合唱を始めた。
俺はためらいがちにベンチに座るとその横に音羽さんが座った。
鞄を横に置き、ポケットからオカリナを取り出すと観客のアンコールの合唱は静まり、辺り一面が静寂になった。
俺はいつものように目を閉じて吹き始めると、音羽さんもそれについてきた。
演奏中、俺の指は何かに導かれるように動いていた。
こんな感覚は初めてだった。それどころか、俺は無意識に演奏したことがない部分まで吹いていた。隣の音羽さんは何を感じているのだろう?
そんなことを考えているうちに俺たちは演奏を終えた。
目を開けると聞いていた人たちが俺達に拍手を浴びせる。中にはお礼や、「いい曲聞かせてもらった」などと言ってくる人もいた。
やがて見ていた人たちは次々に去っていき、ついには俺と音羽さん以外誰もいなくなった。
「これでよかったんだよな?」
俺はオカリナを見ながら音羽さんに聞く。
「よかったも何も、音で人をあんなに感動させたのは初めてだよ」
音羽さんを見ると、目は潤んでいた。
「音羽さんがいてくれたからな」
「違うと思うよ。三上君が一人で吹いててもあれだけ集まってきたんだから」
「そうか…もしかして音羽さんも?」
「うん。だけど…」
なにやら不満を訴える表情になる。
「だけど?」
「中学のときから知ってるんだから、お互いに名前で呼んでもいいんじゃない?」
と抗議の視線を投げかけてくる。最初は戸惑ったが、色々な呼び方を考えた。
だが、年上じゃないという理由で「かおるさん」とは呼ばない。「かおるちゃん」という呼び方もイメージに合わないという理由で却下された。
そんなわけで色々あって呼び捨てにすることに。そこへ一方的というのは不公平ということで俺のことも呼び捨てにしてもらった。
「ところで、智也」
「ん?」
「どうしてあんなにあっさりバンドをやめたの?」
「元々乗り気じゃなかったしな。最初はよかったかもしれないけど、とある日に“自分のやりたかったのはこんなことじゃない”って思うようになって、そこへ信があんなことを言ったから丁度いいと思って…」
「ふ〜ん…」
その後、俺はかおるに信たちのことを聞いた。双海さんとみなもちゃんが俺と同じ気持ちになっており、俺が抜けてしばらくしたころに二人とも顔を出さなくなったらしい。今はその穴埋めに相川と西野を入れたとか…。
「そんなことが…」
「どうなっちゃうんだろうね?あのバンド」
…今となってはどうでもいいこと。何がやりたかったというわけでもない。
俺はかおるからもらったオカリナを吹くことができればそれでよかったから…。
「すごくいい曲でしたね」
「あんなに感動したのは初めてです」
色々と考えているところに女性の声がしたので正面を見ると、髪の長い女性が立っていた。
色は違うが、長さは彩花と同じ。その横にはツインテールでちょっと幼い感じのする女の子がいた。
着ている制服は通っている学校のもの。二人とも微笑んでいた。
「双海さん…みなもちゃん」
俯いていたかおるが顔を上げながら呟く。そう思った皮切りに二人が自分達でバンドをやらないかと案を出してきた。
色々と考えている俺をよそにかおるは一発OKし、なぜか俺もやることになった。
「ち、ちょっと…う…」
「何も言ってないのに勝手に決めないでくれ」と言おうとしたが、それを察したのか、3人はジト目で俺をニラんできた。
かおるならわかるが、双海さんやみなもちゃんまでこんなことをするとは…。
結局、断ることが出来ずにそのまま話が進み、演奏する曲はさっき俺がかおると吹いていた曲になった。
決まった瞬間、かおるは聞かせたいテープがあると言って俺達を自分の家に案内した。
そのテープには、かおると二人で吹いた曲が入っていた。
何よりも驚いたのは、楽器が全然違うことだった。
「これが…この曲の全部分…じゃぁ、いつも俺達がオカリナで吹いてた部分は…」
「オカリナで演奏できる部分といったところかな?それに使ってる楽器に近い音を出すのに精一杯だったから」
俺の質問にかおるは間を入れずに答えた。
「そうだな。全体的に学校にある楽器では出せない音になってるし、実際に使われてる楽器を調達するなんて無理な話だからな。さて、振り分けをどうするか…」
俺は一通り説明し、皆を見回しながら聞いた。
「振り分けは…私は今でどおり、バイオリンにします」
双海さんは少し考えてから応えた。
「私はギターにします。本当はこれがやりたかったんです」
みなもちゃんは前のメンバーでピアノに決まったことに相当な不満を抱いていたのだろう。
「そうか…よし、双海さんとみなもちゃんは決まったとして、俺たちはどうするか…俺も本当はオカリナをやりたかったんだ。だけど信が…」
俺たちの意見を聞かずに勝手に振り分けてしまったから不満もたまって当たり前だ。
「OK。じゃぁ私もオカリナをやるわ」
かおるが言った。演奏のやり方は今までどおりでいいだろう。
というのは、時々、高音と低音を入れ替わって演奏していたからだ。一人のときは俺が全部高音の演奏をしている。
ドラムは教師の誰かに任せることで振り分けは決まった。が…
「ちょっとまって。ドラムは私にやらせて」
俺達の話を聞いていたのか、部屋のドアを開けながら突っ込むように話し掛けてきたのは…。
その姿を見て俺達は何も言えなくなった。
というのは、入り口に立っていた人はちょっと大人びてるところを除けば、かおると何もかもと言ってもいぐらい似ていたからだ。
「あ、姉さん」
かおるが言った。
俺達は戸惑いながら挨拶をすると、かおるは紹介してくれた。
「私の姉でかおりっていうの。そういえば智也には姉さんのことを話してなかったね」
「こんにちは。音羽かおりです。妹がいつもお世話になってます」
かおりさんは自己紹介を終えるとドアを閉めて入ってきた。
俺達も自己紹介をする。そしてかおりさんもバンドの話に入ってきた。
しばらくしてなれてくると、かおる(あるいはかおりさん)が二人いるような雰囲気になった。
話は一通り終わり、演奏の練習ということになったが、澄空学園は信が使っていてできない。
そこでかおりさんが大学の音楽室を使ったらどうかということで解決した。しかし、条件付で…。
その翌日から、学校が終わると、俺達は藍ヶ丘大学の音楽室で演奏の練習をすることになった。
<あとがき>
SSの2作目。またオリジナルキャラが出てきました。
前作ほど長くなることはないと思います。
短文ですが以上です。