孝太郎への質問の内容

「さて、まず小学校時代のことから聞かせてもらおうか」
名倉は孝太郎の席で足を組んで質問した。
「はい。俺は物心ついたころ、正確には小学校に入った頃から親の愛情を知らずに育ちました」
孝太郎は顔色一つ変えずに答えた。
「その理由は?」
「あれをやれ、これをやれと、命令まがいなことを押し付けられ、断ると言うことを聞けと怒られる。そんなことが一日一回必ずあったからです」
―――このくらいは予想してたことだ。だがまだまだこれからだ。それに私には記憶を失ってることに付け込むという武器がある。
名倉はこうなることがわかってたかのように不適に微笑んだ。
「で、それからどうしたんだ?」
「そんな中で俺は心を閉ざし、ついには誰から見ても人形になってしまいました」
朝起きて学校に行き、普通に授業を受け、必要なこと意外ほとんど喋らず、誰がどんなに面白い冗談を言っても少しの笑顔も見せず、顔色一つ変えない言わば無表情。そんな状態だった。
4人はそういえばそうだったなぁと思いながら頷く。
「矢神とは一緒に住んでるようだが、いつどういうきっかけで知り合ったんだ?」
「小学校3年の時、両親を通じてです。ですが、無表情で凍りついた仮面を被っていた俺は、一目見ただけですぐに姿を消し、部屋に閉じこもりました」
―――記憶を失ってる身でありながらよく覚えてるな。おそらく誰かが教えたんだろうな。
名倉がこんなことを考えている中、孝太郎は無表情だった。
「お前確か、母親が亡くなったよな?」
「はい。沙羅と知り合って半年ほどした頃、生まれつき体が弱かった母が熱で倒れ、抵抗力が低下していたところに肺炎にかかり、長くは生きられないことを知りました」
孝太郎は父親に連れられて見舞いに行った。だが、母親は孝太郎に手を差し出し、これからも父親の言うことをしっかりと聞くようになどといったことしか言わず、それを聞いた孝太郎は差し出された手に触れることなく、反発して病院から飛び出し、それっきり見舞いには行かなかった。
「それからしばらくして4年になったころに母は亡くなりました。俺は通夜はいましたが、葬儀に参列せずに近くにあった公園に隠れてました。当然ながら親父は激怒しました」
しかし、孝太郎は反省のはの字もせず、おまけに涙一つ見せなかった。
―――なんて奴だ。くそぉ。本当に記憶喪失なのか?本当に真っ向勝負でくるつもりか!?
「で、それから何があった?」
名倉は歪ませた表情を戻し、質問攻めを再び行った。
「母が亡くなってしばらくした頃、沙羅の両親が事故で亡くなり、身寄りがなかった沙羅は親父に居候として引き取られました。沙羅の両親と約束していたそうです。“自分たちに何かがあったら子供を頼む”と…」
しかし、父親はどこまでも勝手な人間だった。沙羅を養子として引き取っただけで飽き足らず、否応なしに沙羅を孝太郎の許婚にしたのだった。
―――ち、ちょっと、そこまで話してないのに…まさか…。
沙羅は動揺したが、ある考えが浮かんだ。
「ほぉ…で、お前はどうしたんだ?」
「それを知って怒りが炸裂しました。これ以上親父の勝手にさせない!という気持ちになり、心を鬼にして沙羅を追い出し、未柚の家に強引に押し込みました。当然、家では親父と喧嘩。結局俺の負けでしたが、後悔はしてませんでした」
「ほぉ、では、矢神を日永の家に押し込んでからどうした?」
「沙羅は転校生として一緒に通うことになりましたが、俺は手助け一つせず、全ては未柚にまかせっきりでした」
「そう言えば、お前は日永から聞いた話によれば、動物が苦手だったんだってな。その理由は何だ?」
「親父は色んな動物を連れ帰ってきては俺に見せ付けて自慢してきました。一人になりたかった俺はいつからか“動物は嫌いだ”と思い込み、ついには本当の動物嫌いになってしまったのです」
名倉の次々と迫ってくる質問に孝太郎は平然と答える。
名倉は一瞬苦虫を潰したような表情になったが、すぐに表情を戻すと質問を続けた。
「なるほど、風上から聞いた話によれば、誰にも何も言わずに別の中学に進んだんだってな?」
これは孝太郎も気にしていた部分だ。瞬は前にこのことを話したことを後悔した。
―――すまん、孝太郎。
「はい、小学校を卒業する3日ほど前に俺は未柚の父親、つまり叔父と一緒に赴任先である東区へ引越し、新たな中学校生活を迎えました。この答えからわかるように、俺は小学校の卒業式に出席してません」
―――え!?なぜそれを!?
瞬は孝太郎に申し訳ないという気持ちで自分の席で手を合わせていたが、誰も話してないことをあっさりと答えたことに驚いて顔を上げた。
「それじゃぁ、中学時代はどうしてたかを何一つ隠さずに答えてもらおう」
名倉の背中を冷や汗が伝う。顔色を変えたり、口調が上ずったりしなかったのは不幸中の幸いだっただろう。
「中学に入っても、一人になりたいという気持ちは変わらず、凍りついた仮面も剥がれることはありませんでした。そんな俺に一人の男が声をかけてきました。後に親友関係となった日向 翔(ひゅうが しょう)です」
―――日向!あいつ、日向と親友だったのか!?
名倉は驚く。
「名倉先生は忘れるわけがないですよね?先生の嫌がらせを真っ向勝負で跳ね除けた生徒の第1号でしたから」
―――なるほど、私の弱点は日向から教わったのか…。まさか親友同士だったとは…。
「その日向とはどんなふうにして親友同士になったんだ?」
「最初の頃は特に何とも思いませんでした。ですが、似たような境遇にあった翔は俺の気持ちを理解し、張り付いた仮面にひびを入れてきたのです。しばらくして妹の由梨香を紹介され、休日は3人で色んなところに出かけて、本当に楽しい日々でした」
―――なるほど、妹とも知り合ってたのか。こいつは大きな誤算だった。
「ですが、そんな楽しかった日々も長くは続きませんでした」
いい終わって孝太郎は沈んだ表情になった。
「まさか、お前…あの日の出来事とお前が記憶を失ったことと、何か関係してるのか?」
名倉はずっと気になってたことを聞いた。
「大有りです。先生の言う“あの日の出来事”、つまり中3の6月頃…俺と叔父が住んでいた家に親父が沙羅を連れてやってくると知り、俺は叔父に何とか納得してもらって姿を消しました」
そして、ある交差点に差し掛かり、そこで遊園地に行こうとしていた翔に会った。翔は孝太郎も誘ったが、孝太郎は行く気になれずにそこで翔と別れ、翔が交差点を渡ったのを確認し、孝太郎は背を向けて歩き出した時だった。
車が急ブレーキをかけてスリップする音がしたと思うと、その後に何かがぶつかった音がした。
孝太郎はまさかと思いながらゆっくり振り向くと、道路にスリップの跡を残して止まっている車。その先には、横になって動かない翔の姿があった。
ゴクリという音が静かな教室に響いた。
「俺は体中の力が抜け、ふらついた足取りで近寄ると、それに気付いたのか翔は目を開け、由梨香を頼むと言い残して息を引き取りました。俺は何も言わなくなった翔の体を抱えて力が入らない腕で揺すりましたが当然動くことはなく、しばらくして俺はその場に倒れて気を失いました」
―――なるほど、海原は日向が死んだショックで…。
このときの名倉からは、嫌がらせ攻撃をしようという気持ちは完全に消え失せていた。
「その2日後、目を開けると見知らぬ天井が視界に入ってきました。俺は病院のベッドの上で、日常的なこと以外の全ての記憶を失って目を覚ましたのです。名前や身元は翔の事故死の知らせを聞いて駆けつけた由梨香が証明してくれました」
みんなは驚きの表情になる。と同時にまさかと思った。
―――まさか、あいつ…。
名倉も同じだった。
「記憶喪失になると同時にそれまで張り付いていた仮面は完全に剥がれ、動物嫌いだったことも忘れて、それどころか猛獣でも大人しくさせてしまう才能を身に付けて退院しました」
進路に関しては以前話したとおりである。そして、中学を卒業し、東高に進学してからは、“暗めの性格でぶっきらぼうだが、見てるだけで猛獣でも大人しくさせてしまう不思議な生徒”として評判だった。それを知った真月動物園の園長がそこの猛獣飼育係のバイトを紹介したのである。
―――なるほど。才能は記憶を無くしたときに目覚めたのか…。
名倉はすっかり撃沈されたみたいだった。
「確か、去年の12月頃にこっちに戻ってきたな?その理由は何だ?その時の生徒たちの反応はどうだった?」
名倉の様子を見たのか、代わりに瞬が聞いた。
「叔父が実家に帰ることになり、同時に俺もこの西高に転校が決まりました。それを知った生徒たちは騒ぎ出して転校を止めましたが、俺は何とか説得して生まれ故郷であるこの西区に帰ってきました」
「そりゃぁ止めたくなるだろ」
生徒の一人が愚痴るように言った。
「で、先日に東区に行ったそうだが、その目的はなんだったんだ?」
名倉が聞いた。もう嫌がらせをしようなどという考えはなかったみたいだった。
「記憶を取り戻す手がかりを探すためです。先日頃が丁度、3年前に翔が事故で死んだ頃でした。その交差点には毎年同じ時期に行ってました。先日で3回目だったのです」
「ったく、東区に行くなら行くで俺たちにも一言言ってくれればよかったんだ」
瞬が愚痴る。未柚と李香は頷いた。
「そう言えば、1週間ほど欠席するって言ってたのに、少し早く帰ってきたな?何かあったのか?」
名倉が顔を上げて聞いた。
「はい、初日に例の交差点に行ったとき、由梨香と再会したのです。少し話して当時のように振り返ってどこかに行こうとした時でした」
何かが頭の中をよぎり、振り返ると車が勢いよく走ってきて、孝太郎はそれを見て由梨香を抱えて事故から守ったものの、何故かまた気を失い、3年前に運ばれた病院で2日後に目を覚まし、全ての記憶が戻っていることに気付き、見舞いに来た由梨香に3年前のことを話し、翔の墓参りをして昨日帰って来たのである。
言い終わると同時におぉ〜という声が響く。
―――記憶は戻ってたのか。こいつは本当に誤算だった。
「額の青いバンダナは趣味でつけてるのか?」
名倉はすっかり打ちのめされて、どうでもいい事を聞いた。
「いいえ、これは中学2年の時に翔が俺の誕生日に親友の証としてくれたものです。今はもう、翔の形見になってしまいました。まだ何か質問はありますか?」
「いや、もういい…私の負けだ…」
そう言いながら首を横に振る。そして教室全体に拍手が響いた。


<あとがき>
名倉と孝太郎の会話がほとんどでした。
続きをお楽しみください。
かなり短文ですが、以上です。

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